作品への絶賛はもちろん、藤本タツキのスタイルがいかに新しく、過去の作家にくらべ革新的であるかという優越性についての批評が圧倒的な数でシェアされ、彼が『ルックバック』で描いた取り返しのつかない喪失、失われたものへの悲しみや追悼をかき消すほどの大きさになっていた。今思えば奇妙なことだが公開直後のSNSは、作品の受容を作者への熱狂が圧倒してしまう現象が起きていたのだ。

 

 おそらくこうしたSNSの反響は、藤本タツキと編集部にとって想定外だったのではないかと思う。彼らは記事の冒頭にあげたマンチェスター追悼式での、伴奏のない場所で歌われた『Don't look back in anger』のような静かな作品の受容を読者に望み、そのために前述の配慮などもしていたのではないか。『ルックバック』のオンライン公開日を事件の当日ではなく1日後にずらしたのも、事件の起きた日に当事者への追悼と追憶を邪魔しないためと解釈できる。

 だが実際のSNSはその想定をこえ、熱狂的なサッカーチームのサポーターが勝利の凱旋歌として『Don't look back in anger』を歌うように(じっさいにこの歌はそうしたサポーター集団にもしばしば歌われる)藤本タツキという新しい文化的ヒーローの才能への賞賛で埋め尽くされていった。「事件の消費」「犯人の悪魔化」と言う批判はそうしたSNSでの熱狂、作者個人の意を超えた「神化」の空気に対する反発や防衛反応として発生し、そして「ポリコレか表現の自由か」という不毛な党派的対立の中に飲み込まれていった印象だ。

 長くなってしまったが、映画『ルックバック』について書く前に、こうした原作公開当時の個人的な記憶は(ここに書いたことは筆者の印象であり、もちろん別の解釈をする人もいるだろう)残しておきたかった。

映画版が再現する「人間が描く絵の生々しさ、魅力」

 映画公開によって3年前の論争が再燃するのではないかという筆者の懸念も杞憂に終わり、58分間にまとめられた映画『ルックバック』は静かに、しかし小さな公開規模から確実に支持を拡大している。原作のストーリーを忠実になぞりつつ、その中にアニメーションならではの驚くような仕掛けがいくつもある。

2024.08.24(土)
文=CDB