漱石は、はじめて彌生子の小説(習作『明暗』)を読んだときに、まだ二十歳そこそこの彼女に「年は大変な有力なものなり。……余の年と云ふは文学者としてとつたる年なり」(一九〇七年一月十七日の彌生子宛の書簡)と伝えた。彌生子は師匠・夏目漱石の言葉を守り、生涯の最後まで、「生きられる場所」で一人、ものを書き続けた。

 言葉を保ち続け、守り続けたこと。ここに野上彌生子の保守精神の美しさとひそやかな激しさがある。いくら恵まれた環境にいたとしても、とんでもない変化球も飛んできたであろうし、汚れた球を投げつけられたこともあっただろう。しかし彌生子は自らの文学の正統を死守し、結果として、末広がりな、大きな人生を全うしたのである。

精選女性随筆集 中里恒子 野上彌生子(文春文庫 編 22-10)

定価 1,100円(税込)
文藝春秋
» この書籍を購入する(Amazonへリンク)

2024.07.26(金)
文=ソコロワ山下 聖美(文芸研究家・日本大学芸術学部教授)