不思議なことに、次々とお仕事が舞い込んできた
――撮影中も、治療は続けておられたんですか?
「抗がん剤をコントロールして、副作用が出ないようにしてもらっていました。急に吐き気が襲ってきた時用に、常にビニール袋を持ち歩きました。ホルモン治療には記憶力が続かないという副作用があるんですが、事前に『このタイミングで入ってきて』と指示されているのにすっかり忘れて棒立ちのままなんてことも(笑)。監督からは怒られることもありましたが、なんとか演じきることができました」
――それが復帰作になったんですね。
「原田眞人監督には本当に感謝しております。不思議なことに、その後は次々と映画やドラマのお仕事が舞い込んで、結構、忙しかったですね。地方にも撮影に行きましたし、いくつかの作品では、カツラを被って撮影に挑みました。実は私、10年続けてほしいと言われていたホルモン治療を、3カ月でギブアップしたんです」
先の寿命を延ばすよりも、目の前の1、2年を大事に
――なぜですか?
「ホルモン剤の影響で顔が浮腫んだり、節々がリウマチのように痛くて仕事どころじゃなくなってしまって。何より、ホルモンバランスのせいで暴言を吐いて、子供たちを傷つけることが耐えられませんでした。当時は躁鬱状態で、もうこんな朝を迎えるくらいなら死んだ方がいいってくらい、つらい日もありました。でも死の恐怖よりも、子供に笑顔で接することができなくなったり、大好きな女優の仕事ができなくなったりすることのほうが、怖かったんですね。だから先の寿命を延ばすよりも、目の前の1、2年を大事に生きようと考えたんです」
――思い切った決断です。
「そうですね。だからこそ、今こうして健康で、家族と楽しく喋ってご飯を作れて、誰にも迷惑もかけないで仕事ができて……ひとつひとつを正常にできていることが、奇跡に感じますし、すごく嬉しい」
――病状はいかがでしょうか。
「乳がんは15年後にも再発すると言われているんですが、病院のほうは一昨年、卒業させてもらいました。その後は毎年自分で調べていますが、今のところ再発はありません。末っ子の娘なんかは、今の私を見てことあるごとに、『ママ、よかったね』って言うんですよ。『何が?』って聞くと、『いや、よかったと思うよ』って。娘は私の闘病中はまだ小学校1、2年生でした。私自身、小さな子の前でよく泣いていた時期でもあるので、思うところがあるんだと思います」
2024.07.22(月)
文=「週刊文春」編集部