大抵、弟宮は移動中に気分が悪くなったと言って、早々に床につく。しかしこれは、墨子が会いに来ると知ってから、弟宮がするようになった仮病だった。人気がなくなったのを待って、枝の中に隠れていた墨子がするすると木から下りて行くと、弟宮は既に着物を布団の下に丸めて押し込み、せっせと人の形に整えているのである。

「よお。もう出られるか?」

「うん」

 待っていたぞ、と笑う顔はいとけなく、とても可愛らしい。

 彼は、病弱なのに好奇心が旺盛だった。せっかく地方にやって来たのに、室内に閉じ込められているのをもったいないと言うので、こっそり外に連れ出してやることにしたのだった。

 会話してみれば、弟宮は、墨子が今までに会ったどんな奴よりも賢く、同時に抜けている(・・・・・)少年だった。

 中央の政については、ずっと年上の大人のような口調で喋っているのに、饅頭を墨子が横からくすねとっても一向に気付かない。それを指摘しても、「すみは手先が器用なのだなぁ」と感心してばかりいるのだ。狡猾なようでいて、まるで赤ん坊のように、ひどく無垢な部分があった。

 墨子はいつしか弟宮のことを、手のかかる弟を見るような気持ちになっていた。

 だが、慎ましやかな交流は、そう長くは続かなかった。

 それからいくらも経たないうちに、上皇が亡くなったのだ。弟宮は西家(さいけ)に居を移し、南領にやって来ることもなくなってしまった。

 寂しくはあったが、たとえもう二度と会えなかったとしても、墨子は弟宮を友達だと思っていたし、きっと、彼もそう思ってくれているだろうと信じていた。

 やがて、墨子の側にも変化が訪れる。

 南本家から慶勝院に使者が訪れ、墨子を養女として迎え入れたいと言って来たのだ。

 この頃、中央では兄宮が出家し、弟宮が正式に日嗣の御子となったため、南家には弟宮の后候補を出す必要が生まれていた。あの時、見逃してやった恩を今返せ、ということなのだろう。当然、拒否など出来るはずもなく、もったいぶった南家の使者に対し、墨子はただ「身に余る光栄です」と、殊勝に頭を下げたのだった。

2024.07.04(木)