細っこい、小さな人影。

 解き放たれた髪はさらさらと夜風になびき、首すじの白さがいかにも寒々しい。

 煌々とした硬質な冬の月明かりのもと、護衛の一人も連れずに墓の前に立っていたのは、その墓の住人によって命を狙われ、母親を殺されたはずの弟宮だった。

 思わず、木陰に身を隠してしまった。

 こわごわと木の葉の間から様子を窺えば、弟宮は、きょろきょろと周囲を見回し、枝打ちされたまま放置されていた枯れ枝を拾い、墓の前に戻って来た。

 胸がざわざわする。

 一体、何をするつもりなのだろう。まさか、あの枝で、墓石をぶつつもりなのだろうか。

 墨子自身、たとえ罪人で、その報いを受けただけなのだと分かった後でも、死んでしまった母のことが恋しくてたまらないのだ。何の罪もなく母を殺されたのだとすれば、どれだけ怨んでも怨みきれないだろう。

 息を殺し、瞬きも惜しんで、弟宮の一挙手一投足を追う。

 弟宮は、そっと、枯れ枝を月に掲げた。

 月の中に、黒い枝の影が浮き上がる。

 ――その瞬間に起こったことは、まさに奇跡だった。

 しゃん、と。

 弟宮が枝を振ると、まるで、神楽の鈴がふるえるような、澄んだ音が虚空に響き渡った。

 すると、空から零れ落ちた月光を、地面に落ちる前に掬い上げるかのように、枝の先に光が宿り始めたのだ。

 それはまるで、月の光が蛍となって、枯れ枝に集まっていくかのようだった。

 しゃん、しゃんと、何回かゆっくり弟宮が枝を振る度に、枯れ枝がにわかに生気を帯び、ふっくらと蕾がふくらみ、光の粉を振りまくようにして、一輪一輪が花開いていく。

 それは、季節はずれの桜だった。

 冷たく暗い墓に、こぼれるように咲き誇る桜の華やかさは、息を吞むほどに鮮やかだ。

 満足げに、満開の桜の枝を見つめた弟宮は、それをそっと墓前に供え、手を合わせる。

 それだけで、灰色の水底に沈んだように、全く色味のなかったそこが、一気に明るくなったように感じられた。

2024.07.04(木)