歩いて歩いて、ようやく南家本邸の付近に着いたのは、日が暮れてからのことであった。
意外にも、やっとのことで邸が見えても、喜びは湧いてこなかった。ただ、懐にしまった包丁の重みを感じ、頭の中を血が駆け巡る音が聞こえるのみである。
築地塀の周囲には、見張りの兵がいる。
兵に気付かれないように、そっと裏手へと回ると、塀に面した道の一角が、白くなっていた。
くすんだところのない、上品な白い花が、黒い道の上に無数に散らばっている。
沙羅の花が落ちているのだ。
母が好んでいた花だ。華音亭に植えられていたことを思い出し、急いで近くに向かう。
邸の外れである。
父が新たに造らせた華音亭の周りは、他と塀のつくりが違う。竹を交差させて編んだそこならば、うまいことよじ登れそうだ。
どきどきしながら、兵が通り過ぎる瞬間を待ち、音を立てないように飛び出した。
築垣を登る際に手を少し切ったが、構ってはいられない。沙羅の木の枝に乗り移り、なめらかな樹皮を伝って地面に下りて、ほっと息をつくことが出来た。
勝手知ったる我が家である。一度中に入りさえすれば、こちらのものだ。
当主のいる寝殿に向かおうと周囲を見回し、そこで、墨子は息を吞んだ。
淡い月明かりの中で浮かび上がったのは、濃く生い茂った夏草だ。
――たった二月ばかりの間に、いつだって手入れが行き届いて美しかった母の庭園は、見る影もなく荒れ果ててしまっていた。
愕然とする墨子のことを嘲笑うように、あまりに多すぎてうるさいような虫の声が、湿った夜の中に響いている。
おそるおそる歩けば、ちくちくとした雑草が体にまとわりつき、ねばるような細い毛が衣にべったりとつく。花の香りよりも、踏み潰した草の青い匂いが鼻を刺激した。
ひどい、と思った。
更地にするでもなく、あえて荒れたままにされていることが、まるで見せしめのようだった。
草を泳ぐように掻き分け、母と墨子のために新築された棟へとたどり着くと、そこは閉め切られていた。中には入れそうもなかったので、諦めて高欄の下に入る。
2024.07.04(木)