『星落ちて、なお』は、江戸末期から明治期にかけて活躍した絵師河鍋暁斎の娘とよを題材にしている。画号は暁翠。画鬼と呼ばれた父の衣鉢を継ぎ、こちらも明治から昭和初期にかけて絵筆をふるった日本画家である。
物語は暁斎が逝去した明治二十二年から書き起こされ、大正十三年までの約三十五年間にわたるとよの葛藤を年代記風に綴っていく。幼時より父に絵を叩きこまれたとよは、絵師の家に生まれついた運命を憎みつつもその呪縛から逃れられない。異母兄の周三郎(画号は暁雲)に言わせれば、暁斎は「人の良しあしを、絵が上手かどうかで決める野郎」だ。それは家族に対しても同様で、暁斎にとっては絵師にあらずんば河鍋にあらず、ということになる。つまりとよにとって絵とは、画鬼である父と自分を結びつけてくれるたったひとつの紐帯(ちゅうたい)だった。
全編を貫くのは、芸術家の宿痾(しゅくあ)とも言うべき疎外感と孤独だ。死してなお、とよと周三郎を捉えて離さない暁斎の亡霊。反目する兄と妹は絵に魂を奪われつつも、画鬼になりきれぬ負い目と冷厳な現実のはざまで呻吟する。絵師として唯一無二の存在を間近に見てきたふたりは、それぞれのやり方で父と同じ地平に立つことを希求する。暁斎に迫る絵を描くことだけが自分の存在理由だと信じて。しかし彼らが仰ぎ見る父の狂気はあまりにも凄まじく――行き倒れと見ては死に顔を写生し、死の床にある己の姿すら戯画にしてしまう――常人の理解を遥かに超えている。そしてこと芸術に関しては、狂気からのみ生み出されるものがたしかにあることをふたりとも心得ている。
頑(かたく)なに父に追随する周三郎に対し、とよは軸足をなんとか現実社会に残そうと奮闘する。人間らしくありたいと願う。それが周三郎の目には、絵に対する覚悟のなさに映る。が、全身全霊を懸けて暁斎を模倣する周三郎にしたところで、父の高みにはけっして手が届かない。生き様も考え方も相容れない兄妹は、絵画という一点においてのみつながっている。それこそがまさに彼らが抱える疎外感と孤独の正体なのだが、兄が病没したあと、とよは自分を苦しめてきたこの疎外感に懐かしさを抱く。病床にあった周三郎は暁斎を「あの親父は、俺たちにゃ獄(ひとや)だ」と喝破する。夜道をひとり歩きながら、とよはそのときのことを思い返す。
2024.05.09(木)
文=東山彰良(作家)