ああ、そうだね、兄さん、と呟けば、奇妙なほど強く周三郎が懐かしくなった。
この何気ない場面が芸術という牢獄に囚われた者の孤独と、とよの抱える疎外感の深さをえぐり出す。失われたあとで気づくことの、なんと多いのだろう。たったひとりの理解者がいてくれるだけで、無窮の孤独を遠ざけていられる。とよと周三郎は最期まで相容れなかった。だけど絵に憑(つ)かれた者として、「赤い血ではなく、黒い墨で結び合わされた一家」の者として、ふたりには少なくとも共通の言語があった。暁斎という巨星が落ち、いまや周三郎という道標の星まで空から消えてしまった。とよの前途に広がる茫漠たる闇を照らすのは、もはや彼女自身が放つ光以外にない……
さて、私は澤田瞳子を屈託のない人間だと思っているが、しかし作家なんぞやっているのだから屈託がないわけがない。むしろ人一倍強いかもしれない。だからひとりの絵師の屈託を描くにあたって、彼女が自分の屈託を足掛かりにしたことは想像に難くない。画家と作家の違いはあれど、芸術家たちが創作に臨む心構えにはおそらく多くの共通項があるはずだ。のみならず、澤田さんのご母堂も名の知れた作家。そこに暁斎に対するとよのような屈託を見るのは穿(うが)ちすぎだろうが、それでもこの物語をものすのに澤田瞳子ほどふさわしい作家もいないだろう。
大きすぎる屈託を狂気と呼ぶことができるなら、創作とは多かれ少なかれ狂気の産物だ。心から現状に満足している者は、いかなる芸術作品をも生み出し得ない。芸術家たちは日々その狂気と折り合いをつけながら生きている。彼らは大きすぎる狂気には腰が引けるくせに、心のどこかでは渇望してもいる。狂気を飼い馴らそうと躍起になるくせに、飼い馴らされた狂気はもはや狂気ではないと小馬鹿にする。しかし、それも致し方がない。芸術家とはそういうものだ。もし私からとよに言ってやれることがあるとすれば、それはこうだ。会心の作品を描くのに誰もが暁斎先生や芥川龍之介の『地獄変』級の狂気が必要なわけではありませんよ、狂気とは成功した芸術家の武勇伝にすぎません、それは成功の影のようなものです、成功が大きければ影も大きい、でもそれは影にすぎないんです。
2024.05.09(木)
文=東山彰良(作家)