アリストテレスの『弁論術』は弁論を審議的なもの、法廷用のもの、演説的なものに分けている。審議的なものは政治弁論と置き換えてもいいかもしれない。中で一番文学に近いのは、演説的弁論となる。具体的には賞賛と非難を目的とする。まじめなものを誉める練習として、ヘンなものを誉める、という伝統も西欧にはあった。
「シュネシオスはハゲを誉めました。人間、若くて愚かな時は毛がフサフサで、歳をとって賢くなると毛がなくなる。ゆえにハゲは尊いのです。また、球体というのは完璧を表しています。宇宙における球体は恒星、地上における球体はハゲ。先生は見たところ完璧には程遠いようですね」
「それはハゲましてくれてるんですか」
「いいえ、誉めているんです」
「ヘンなもの誉め、ですか」
「こりゃ一本取られました」
「この本の中で、わたしはヘンなもの誉めてますかね」
「ヘンなもの誉めは、さっきのハゲを別にしても、普通嫌がられるものを扱います。病気、ハエ、暴君、痴愚、借金。平均寿命の延びた今日びでは老年も入るんじゃないでしょうか。失礼ですが先生ももうじき八十歳。老いることがひとつの大きなテーマと拝察します」
「強欲な老人」というエッセイでは、肉体の老化にひとつひとつ考察を加えていく。
〈聴力も衰えるが、妻が隣室で怒声を上げても聞こえないふりができるし、ロクでもないことば(ほとんどのことばは聞くに値しない)を聞かないですむから、このままでいい。〉
「これは老いの逆説的賛美ではないでしょうか。老いといえば、先生が若い人に心の中で啖呵を切る場面が大好きです」
〈歳を取ると何もできなくなると思ったら大間違いだ。たしかに夭折することはできないが、それがどうした。くやしかったらいますぐ老衰で死んでみろ。老人ホームに入居することさえできないではないか。〉(「『若いうちしかできないから』」)
「無茶苦茶な理屈で、思わず笑っちゃいますが、笑いの中で老衰や老人ホームがきらりと輝く一瞬があります。マイナスかけるマイナスがプラスに変じるように、現実が受け入れやすくなる一瞬が詭弁の中に宿ります。
2024.04.16(火)
文=荻野 アンナ(作家)