地震大国、日本。2023年は東日本大震災から12年、関東大震災から100年が経過。そして2024年元旦には、令和6年能登半島地震が起こったばかり。その被害の全容は、未だつかめていません。
そんな巨大震災に備えて、あなたは防災グッズをちゃんと準備していますか?
東日本大震災時に仙台で被災し、その後は資生堂「ビューティーボランティア」のリーダーとして数多くの被災者の美容をサポートした経験のある資生堂ジャパン(株)の松田佳重子さんに、女性が持っておくと役立つグッズやアイテムを紹介していただきます。
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“化粧の力”を痛感した、資生堂「ビューティーボランティア」活動
2011年3月11日、資生堂の仙台オフィスで東日本大震災に遭った松田佳重子さん。震度6以上、今まで経験したことのない大きな揺れで、オフィス内はめちゃくちゃ。ヘルメットをかぶり、最寄りの避難場所である公園に急いで向かったそう。
「美容統括部長として仙台オフィスに転勤し、東北6県を担当してからまだ1年も経っていないときでした。私が住んでいるマンションはオール電化だったので、エレベーターも電気も家電ももちろん使えない。家の中ではいろんなものが割れていましたし、お風呂には生まれて初めて10日以上も入れませんでした。転勤で仙台に来ていて、自宅に帰れずオフィス1階のフロアで3日間ぐらい寝泊まりした社員も多くいました。テレビが観られないので情報はラジオから得ていましたが、日が経つにつれ、仙台だけでなく東北地方全体で甚大な被害が出ていることを知り、愕然。当時の被害の大きさは、皆さん既にご存知かと思います」
とても冷静ではいられない精神状態で日夜を過ごす中、偶然に偶然が重なって、資生堂「ビューティーボランティア」の取り組みを開始することになったという松田さん。そのきっかけとは?
「震災の1カ月ほど前、とある異業種交流会に参加した際に、宮城県庁の女性管理職の方と名刺交換をさせていただく機会がありました。震災から10日ほど経ち、電気もようやく来るようになったばかりのある日、その方から1通のメールをいただいたんです。避難所にいる女性たちが手も肌もボロボロなので、何らかの形で支援をしてくれないでしょうか? と。
コロナ禍の影響で今でこそ手元の肌に優しい消毒薬も多くありますが、当時は粗悪品も多かったんですよね。手が洗えない中、感染症が怖いのでこまめに使うのですが、そうすると手があれて赤切れができてしまうんです。それを見ていてつらいから、たった1度名刺交換しただけだけど、松田さんなら資生堂だし助けてくれるんじゃないかということで、私にメールをくださったそうです」
すぐさま資生堂の本社に連絡をとり、かき集められるだけのサンプルを仙台まで届けてもらったという松田さん。それを持って避難所に向かいましたが、その光景は言葉では言い表せないほどだったと話します。
「今でこそ段ボールベッドなど避難所を少しでも快適にするアイテムが開発されていますが、当時はそんなものもないですし、パーソナルスペースも確保されていない状況。そこに入っていくには、かなりの勇気が必要でした。でも避難所で過ごす皆さんにサンプルを配る中、『これはいつ使うの? 朝? 夜?』『これの後には何を使えばいいの?』といった質問を受け、私は『これを先に使って、その後にこれを使ってくださいね』などと答えたりするわずかの時間に、少しだけ気分が紛れるような気がしたんです。
『これをつけよう!』と思った瞬間に、明日を見ていらっしゃるような気がしたというか。心に光明が差すを目の当たりにしたからこそ、その後の約3年間、ビューティーボランティアとして東北地方の避難所を回る活動を続けることができました」
ビューティーボランティア活動では避難所でサンプルを配るだけでなく、ハンドマッサージやメイクを行っていたそう。
「ただそれだけで、避難所で過ごす皆さんの目がパッと明るく輝くんですよね。皆さんのほうがずっと大変なのに、私たちに優しい言葉をかけてくださったり、お菓子をくれようとしたり…東北地方の方々の温かさや強さを心から感じることができました。このビューティーボランティアを通して特に実感したのが“化粧の力”。被災後に生きていくためには、水、食べ物、電気などのライフラインはもちろん重要だけれど、それだけでは生きていけないんだということを、身をもって実感しました」
後日、メールをくれた県庁の女性管理職の方に、なぜあのとき自分に連絡をくれたのかと聞いてみたという松田さん。その答えに心から納得がいったと話します。
「その方は、『資生堂にはパーフェクトカバーという、白斑など強い肌悩みを持つ方向けのベースメイクシリーズがあるでしょう? 実は私、その商品を長年愛用しているんです。そんなにたくさん売れる商品ではないのに、ずっと売ってくれている会社が私たちを見捨てるわけがないと思ったんです』と答えてくださいました。
その言葉を聞いて、資生堂という会社はこの世にずっとなくてはいけない、この会社が150年続いてきた理由ってこういうところにもあるんだと痛感しました。今まで自分が働いてきて、そんなことを思ったことはなかったんですけど。これからも、“化粧の力”を通して、日本だけでなく世界中に貢献できる自分、そして会社であり続けたいと願っています」
2024.02.07(水)
文=内田淳子
写真=釜谷洋史