ただ、女性皇族の婚姻の自由が、日本国憲法第24条に基づくかどうかについては憲法学者の間で議論が分かれる。天皇制は身分制の“飛び地”であり、憲法の人権条項は天皇・皇族には適用されないとの説が近年有力になっているのだ。

 恋とは自己決定である。恋愛に関する皇族の自己決定が、「国民」の納得と理解の名のもとに阻害される事態を、憲法学者たちはあまり重要視していない。私は、皇族の人権の観点から、憲法学者たちはより現実的な議論をすべきだと思う。

 

ポスト近代の天皇制の問題

 21世紀、「国民」の輪郭さえ曖昧になっている。人びとのあり方は多様化・多元化し、「国民」という単一のアイデンティティーへの統合は難しくなった。そのようなときだからこそ、国民統合や公共性の最後の砦(とりで) である皇室に、人びとは期待してしまう。

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 とくに1995年、阪神・淡路大震災やオウム真理教事件で日本の安心・安全が揺らいで以来、その傾向は顕著になる。経済分野の国際的な優位性は中国によって脅かされ、災害も続く。変化の時代には、変化の前の社会との連続性の感覚を求めるために、不変なもの、安定したものを人びとは欲する。不変と安定が求められるとき、皇室はその礎(いしずえ) になり得る。

 現代日本のなかで皇室は、伝統・正統性・ナショナリズムを感じるための重要なアイテムだ。21世紀への転換のころから、皇室への関心は高まっている。かつてのような平民性が強調されることより、権威性が重んじられることが多くなった。

 眞子内親王の結婚に、「国民」の理解と納得が必要と考える人は少なくない。それは、皇室が国民統合の中心にないと、この国がバラバラになってしまう漠たる不安が存在するためだろう。

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 しかし、皇室に「国民」の総意が措定できたのは、国民国家の輪郭が明確であった大衆天皇制の時代までだ。21世紀の日本は、多様性の時代だからこそ、皇室という「たしかなもの」が逆に立ち上がる。ポスト近代の天皇制のパラドックスである。

2022.04.28(木)
文=森 暢平