職場は「山」。そうプロフィールに書いてある通り、東北地方で山伏をし、自然や土地の風習を探求しながら執筆活動や芸術祭などでアートを表現している坂本大三郎さん。2013年に山形に移住し、土地の文化を掘り下げていくことの面白さを日々体感しているという。
都会の生活では気づきにくい、自然への畏怖、土地に残る風習の奥深さと向き合う日常について伺った。
山伏の世界を巡ることで、足元を見て活動する視点の大切さに気づいた
坂本さんが住むのは山形県の出羽三山のひとつ月山がある西川町。
「ここは日本でも有数の豪雪地帯です。冬は早朝3時間、昼3時間、夜3時間除雪をして1日が終わることもあります(笑)」
千葉県出身の坂本さんは東京でイラストやデザインの仕事をしたのち30歳の時に山伏修行に参加。山伏とは、霊山を巡って修行をする修験道の行者のことを言い、山と里を行き来して民間信仰の担い手としての役割を果たす。芸術や芸能の発生や発展とも関わりがある山伏に興味が湧き、山形に通うようなり、38歳の時に山形に移住。山、自然、地域と向き合う暮らしにシフトチェンジした。
そもそもなぜ山伏に魅せられたのか。
「山伏の文化には宗教と信仰の2つの側面があります。宗教はどこへでも広がっていくことができ、世界のどこへでも伝えていけるもの。一方で信仰は祭りなどの伝統を伝えていく土地に根ざしたものであると僕は考えています。
山伏はそれらの矛盾を抱え込んだ存在で、土地に受け継がれてきた文化の成り立ちや地域の繋がりの中で山伏がどのような振る舞いをして芸術や芸能を生み出してきたのかを知ることに面白みを感じました」
もうひとつ、グローバリズムやIT技術といった広がる現代社会の中で、どのように生きてゆけば良いのか模索していた点もあるという。
「現代人は社会を回すために広がっていかなくてはいけないものですが、足元を見て活動していく視点が抜け落ちていると感じることがありました。“広がる“社会構造に適合できる人はいいですけど、僕はそういうタイプではなくて……。
自分みたいな人間が、死ぬ時によく生きたなと思えるような生き方ってどういうことなのかと考えた際に、山伏文化にあるような土地と繋がっていく思考性、あるいは山形の山間部に残っている手仕事や技術を体験することで何か見つかる気がしたんです。
拡散していくのではなく、土地と繋がっていくこと。それを続けていくことで生きてる実感が持てるのではないかと。その環境が山形にはまだ残っています。だからここに来た、ということなんです。実際には山間部に来れば様々なことが解決するという単純なものではありませんでしたが……」
2021.12.29(水)
文=CREA編集部
撮影=志水隆