でも、好きなことがあってそれを仕事にできたらこんなに幸せなことはない、と和田さんは常々言っていました。現代のお父さんやお母さんに、こういう教育方針もあるんですよって言いたくなっちゃった。

 それから60年。和田さんは絵と文章、映画に舞台と膨大な作品を残しました。開催中の「和田誠展」に行ったら、本当はこの50倍作品があるって聞いて驚いちゃった。よく身体も壊さず……きっと私の料理が良かったのね~(笑)。

 この日記や私のことを書いた曲まで、亡くなってから見つかったものも沢山。いなくなっても私が寂しくないように、こうやってプレゼントを残してくれたのかなって思います。

 

横尾忠則さん「僕らの共通項。それは反骨精神だった」

 和田くんの日記、19歳の最後の頁に「3万円の蛙 1等が俺だった。ひどくうれしい」とあるでしょう。興和新薬のデザインコンテストなのだけれど、実は僕も応募していて、佳作だったんですよ。和田くんと出会う4年くらい前かな。この時初めて、僕は1等の「和田誠」という男の名を知ったんです。

 日記の中で、高校生の和田くんが友達から来る年賀状を一枚一枚克明に模写しているのには驚きました。もっともおかしいのは、一つ一つに短評をつけている。もうすでに評論家ですよ。これがなかなか的確で、そのくせ辛辣で。

 多摩美に入ってからは、日本のデザイン史を築いた杉浦非水らのことをクソミソに批判しているでしょう。言ってしまえば時代遅れの先生たちですから、偉いなと思いました。そして何よりそういった反骨精神・批判精神が10代ですでに備わっていたんだと。

 僕にはそういった面を一切見せなかったんだけれど、周囲に話を聞くと、彼に怒られた人がいっぱいいるようです。でもね。彼は自分の利益を考えて怒ったりする人じゃなかった。物を言うのは、必ず地位や名誉に執着する先輩や編集者に対してでした。仕事を持ってくる編集者に物を言うなんて、普通は怖くてできないですよ。

2021.11.10(水)