亜美 怖すぎる!

由美 もちろんオーディション慣れしている人はわかっていたと思いますが、私は経験がなかったので、何も気づかないままカラオケ大会でウェ~イ!みたいなことをやってたんですけど、そんなところも、大人たちは楽しそうにキャッキャするふりして審査してたんです。

 それで、最終的に準優勝をいただいて、「何がしたいですか?」と聞かれまして。そのときは別にやりたいことが見つかっていなかったんですけど、会社に“ソニー”って書いてあるから歌手って言った方がいいのかと思って、「歌手ですかね?」って答えてみたんです。そこで、初めて歌ってみたら全員ガッカリするみたいな(笑)。だから、何もしてないんですよ、私。

亜美 それでよく今まで残ってるよね(笑)。

転機になった“アメリカでの活動”

――そんな思わぬスタートから始まったPUFFYですが、デビューから今まで、一番大きな転機を挙げるとすると、何になりますか。

由美 んー、やっぱりアメリカで活動したことですかね。

亜美 それかも、それかも。2000年くらいにアメリカのカレッジチャートで私たちの曲が上位に入っていたこともあって、サウス・バイ・サウスウエストっていう大きなフェスに出演したんですよ。その街のカフェだったり、レストランだったり、ライブハウスだったりを全部会場にして街全体で音楽フェスをやって、あとは映画祭も組み合わせたりしたイベントで。当時は、私たちからしたらアメリカで歌うなんて滅多にない経験なので、「思い出作りに行こうよ~」なんて気分で参加したら、結果的にすごく評判が良くて。

 それがきっかけで、アメリカツアーも行うことになったんです。その時に、老舗ではあるけれどすごく小さいライブハウスとか、今のロックスターはみんなここを経て活躍してるよみたいな、これも小さい、小さい伝説のライブハウスを回ったりしたんです。今までこんなところでやったことない、というくらい環境的にも凄くヘビーだったんですけど、逆にそこで結構鍛えられた感じがしました。

2021.07.23(金)
文=松永 怜