できないだけで、本当は自分をさらけ出したいです
――小説って内面をえぐるような作業を重ねるもの。自分自身をさらけ出すのが苦手だとよく話されている福徳さんが、小説を書くことに行き着いたのはどんな理由からだったんですか?
自分をさらけ出すつもりは、一切なかったんです。
最初はほんまに作り話として書き始めて、月刊誌『マンスリーよしもとPLUS』という雑誌で恋愛ショートストーリーの連載をやっていた流れでいけるかなぁと思って長編を書き始めたんですけど、短編と違って、長編は自分の中身を出さんと書かれへんってことに気付いて。
あと、6万字削除されたことで失った分を取り返さなあかんっていう焦りから、脳みそからアイデアを絞り出した結果、さらけ出すことになっていました。
――やめようとは思わなかったんですか?
何度か思いました。めちゃくちゃ抵抗はありましたけど、その展開で1回、編集の方に提出したら「いいじゃないですか」って前向きな反応をもらえたので、このまま書き進めてもいいんじゃないかなと思ったんです。
まぁ、知人以外に読まれる分には気にしてません。知人に読まれると思うと恥ずかしいなとは、つくづく思いますけどね。
――普段、自分自身をさらけ出さないのはなぜなんですか。
いやいや……できないだけで、本当はさらけ出したいです。
感情剥き出しの人が羨ましくもありますけど、根本的に全員が自分のことを見てるんちゃうかっていう謎の恥ずかしさがあって……自意識過剰に陥ってるのかもしれないですね。
――本著では主人公に対して、バイト仲間がある弁解を行うシーンがあります。何ページにも及ぶあの言葉の数々から、福徳さんはこういう人だと決め付けられることを好ましく思っていないのかなと。球体のようにさまざまな角度を持つ人間性をたったひとつに限定されるのが苦手だから、敢えて人間味を出さないようにしているのかもしれないとも感じました。
それで言うと、僕は一面すら見せられてへん気はしてます。
普段(ジャルジャルとして)やっているコントは人間性に覆い被せているような外側を見せているもので、内面に関してはひとつも周りに見せられてないんじゃないかなって。
それに、自分のことをさらけ出されへんっていうところ自体が、その人の一面であるとも思うんですよ。
……よく言われるんですよね、人間味がないとか何考えてるんかわからんとか。ロボットやと言われたこともあります。
けど、僕からすると、自分をさらけ出せる人のほうがむしろ美しい人間でありすぎて、ロボットのようやなと思うんです。
まぁ、ロボットも博士が愛情込めて作ったもので、愛はあるはずなので、さらけ出せる人もさらけ出せない人もどっちも正しいと思ってます。
2020.11.15(日)
文=高本亜紀
撮影=平松一聖