ロレックスがその長い伝統の中でたゆまず磨いてきたのは、時計づくりの技術的側面だけではありません。すべての活動を支える「パーペチュアル=永続する」の精神を絶やさぬことも追求し続けています。
大切に守り受け継いできたものは、長きにわたり幅広く展開している芸術支援の取り組みにも色濃く見出せます。その一端を紐解いてみましょう。
誰しも見惚れてしまう洞窟壁画や装飾土器の存在からも分かる通り、太古から人の暮らしあるところに必ずあったのが、「表現」。
時代が下ると「芸術」という名で呼ばれることとなる、この人間の根源的活動が受け継がれていくうえで、欠かせぬ要素がふたつあります。
ひとつには、パトロンの存在。もうひとつは、先人の教え。
現代の私たちが考えるのと同義の「芸術家」という存在が現れ出たのは、いつのことだったのか。欧州で文化的高揚が巻き起こった、ルネサンスの時代でした。
その頃、自身の描いた絵に署名を残す画家が現れ、「これは私の表現である」という意識が芽生えてきたのです。
すると同時に、芸術家に創作の機会と環境を提供する立場の者も、出現するようになります。パトロンの誕生です。多くはときの権力者が、その務めを果たしてきました。
パトロンと芸術家は、確かに社会的身分に差はあれど、単なる使役関係ではない。むしろ、協働してものをつくる同志とでもいうべき関係性にあります。
16世紀のローマに君臨した教皇ユリウス2世と、ミケランジェロやラファエロの関係はその典型例。
ユリウス2世は、教皇庁内にあるシスティナ礼拝堂という場をミケランジェロへ提供し、《天地創造》《最後の審判》という畢生の名作が生まれました。
同じようにユリウス2世からバチカン宮「署名の間」を託されたラファエロは、その壁面いっぱいに《アテナイの学堂》を描き、その才能を遺憾無く発揮したのでした。
立場の違う者が協働して表現を生み出す方法は、もちろん現代にまで受け継がれています。
ロレックスは、これまで多くの芸術家たちに創作の機会を与えてきました。建築の分野においても、まさに同じ思想、デザインとディティールへの追求に基づき、各国の著名な建築家たちとの絆を大切にし、次世代へ知識を伝承していく取組みを支援しています。
槇文彦、隈研吾、マイケル・グレイヴス、SANAAの妹島和世と西沢立衛……といった、今や世界を代表する建築家たちと創造プロセスを共有し、デザインと機能が完璧に融合した空間に身を置く歓びを味わってきました。
先人から次代へと、受け継がれていくのが芸術
パトロンとの協働だけではありません。芸術家はまた常に先人の謦咳に接し、教えを請うことによって、創造の灯を絶やさずにしてきました。
引き続きルネサンスの時代から例を引けば、若き日のラファエロはあるとき、フィレンツェでレオナルド・ダ・ヴィンチと邂逅を果たします。
そうして、親子ほども年齢の離れた巨匠による、描きかけの肖像画を目にします。後世に《モナ・リザ》の名で知られることとなる一枚です。
これに強く惹かれたラファエロはその絵を模写し、勘所を押さえ、同作に近いポーズの肖像画をいくつも描くようになっていきます。そののち「画家の中の画家」と称されるほどの達成を為すラファエロによって、レオナルド渾身の描法が、人物像を描くときのひとつの定番となって広まっていくのでした。
2002年に創設された「ロレックス メントー&プロトジェ アート・イニシアチヴ」は、このレオナルドとラファエロのような邂逅を、意図的に起こそうとした試みと言えるでしょう。この芸術支援プログラムは、舞踏、映画、文学、音楽、舞台芸術、視覚芸術、建築の各分野の第一人者が、才能ある若手アーティストに一対一で指導し、創造的なコラボレーションを行う機会をロレックスが提供するというもの。
建築ではアルヴァロ・シザ、妹島和世、ピーター・ズントー、サー・デイヴィッド・チッパーフィールドら偉大な建築家が、導き手たるメントーを務めてきました。
人と人が立場を超えて関係し合うところに、創造が生まれ、次代が創られていく。「パーペチュアル=永続していくこと」こそ得難く、尊いものである――。
それが時計づくりを通じて、ロレックスが培ってきたフィロソフィー「過去から現在へ、そして未来へ」。「パーペチュアル」の精神はこれからも世代を超えて受け継がれていきます。
ロレックス
ロレックス メントー&プロトジェ アート・イニシアチヴ
2020.08.05(水)
文=山内宏泰