『天気の子』とコロナ禍のシンクロ
「僕にできることはまだあるかい」という問いかけは、ひょっとすると野田のなかにそれ以前からあったものなのではないか。それというのも、彼はこれまで災害が起こるたびにアクションを起こしてきたからだ。
2011年3月11日の東日本大震災でRADWIMPSは、発生から3日後には被災地へのメッセージと義援金を募るサイトを開設し、その翌年の3月11日からほぼ毎年、3・11に向けての楽曲を発表している。
2016年4月の熊本地震に際しても、被災地支援のため、野田は友人のONE OK ROCKのTakaを招いて、その10年前にRADWIMPSのシングルで発表した「バイ・マイ・サイ」の新録バージョンを配信した(※5)。
今回のコロナ禍での一連の動きも、その延長線上にあるといっていいだろう。
5月末にはコロナ感染拡大の防止策として発出された緊急事態宣言が解除され、世の中が通常に戻っていくかに思われたのも束の間、東京を中心にまた感染者が増えつつある。まだまだ先行きの見えない状況だ。そのなかで野田は次のように語る。
《今は迷いの中で、その過程さえもさらけ出しながら進んでいる状況です。1カ月前と1カ月後では、状況が全く変わっている可能性もありますし。ただ、皆と同じ時代に生きて、同じ空気を吸って感じたことを、僕は音楽にし続けていくしかない。/その先で、実現するのが半年後か1年後になるのかはわかりませんが、やっぱりライブがしたい。
全国ツアーが延期になったときも「払い戻しせずにいつまでも待ってます!」と言ってくださる方がいて、僕自身、すごく勇気づけられました。そのエネルギーが集まってツアーが再開できたときは、すごいライブになるだろうなと、今から楽しみでもあるんです》(※1)
そういえば『天気の子』のクライマックスは、まさに厄災により世界がすっかり変わってしまったあとの希望を描くようなものだったのを思い出す。コロナ禍を乗り越えたとき、野田の曲は私たちにどのように響くのだろうか。
※1 「AERA」2020年6月22日号
※2 「Cut」2015年6月号
※3 「ROCKIN'ON JAPAN」2015年6月号
※4 「Cut」2019年8月号
※5 「ROCKIN'ON JAPAN」2020年6月号
※こちらの記事は、2020年7月5日(日)に公開されたものです。
記事提供:文春オンライン
2020.07.22(水)
文=近藤正高