「ほんっとに死ぬのが怖くて」「死にたくなくて」
撮影に入るまでに半年間、窓拭き掃除の練習だけはしたものの、松永からは、とくに芝居のレッスンをする必要はないと言われた。だが、いざ撮影に入ると、役にのめり込んでいく。
《どんどん自分が宏になっていって。家帰っても何やってても、ずっと『(トイレの)ピエタ』の世界から1ミリも離れられなくて。終盤は、ほんっとに死ぬのが怖くて。死にたくなくて。[引用者注:作中に登場する杉咲花演じる女子高生の]真衣がいる世界から消えたくなくて。あんな体験ほんとにはじめてでしたね》とのちに振り返るほどだった(※2)。
この映画では主題歌も手がけた。撮影が終わって4日後に打ち上げがあるので、そこで歌ってほしいと頼まれ、その日数で集中して書き上げたという。題して「ピクニック」。このときの心境を野田は《今ここにあるこの愛しさを吐き出して聴いてみたいと思ったんですね。
この感情は、たぶん狙っても一生出会えない感情だと思ったし。たぶん改めて主題歌を作ったら、もっと洗練された曲になってたと思います。あの状況だから極めてシンプルで、削ぎ落とされたああいう曲ができたし》と明かしている(※3)。
「愛にできることはまだあるかい」誕生秘話
じつは、これと似たようなことを、野田は昨年の『天気の子』公開時にも語っている。新海誠監督が同作を準備していたころ、まだ音楽をオファーするとかいうのではなく、ひとまず脚本を書いたので読んでくださいと頼まれたという。
読み終えてから、「なんか曲、浮かんだりしますかね……?」と漠然と訊かれたが、野田には確実に感じるものがあった。
《最初に脚本を読んだ時の感覚ってもう一生来ないので、その瞬間に感じるものを僕はすごく大事にしてるんです。1回読んで、自分というフィルターで濾して落ちてきたもので何ができるか。
自分の中に残った、一番ピュアな原石的な部分だけで作ってみようとしてできたのが、“愛にできることはまだあるかい”という曲であり、あのフレーズなんですよね》(※4)
野田が脚本から最初に抱いた感覚から書き上げた「愛にできることはまだあるかい」という曲をもらって、新海は「あ、この映画はそういう話なんだ」と思ったという。
野田としても同曲の「僕にできることはまだあるかい」という歌詞に、前作『君の名は。』であれだけ出し尽くしたあと、再び新海と組んでおまえにできることがまだあるのかと、自分に問われている感覚をすごく感じたと明かしている(※4)。
2020.07.22(水)
文=近藤正高