小説では、映画でやれないことをやる

「すっごく楽しいんです、書くことは」と語る西川さん。

――おふたりのアプローチは、やはり少し違うんですね。

西川 小説では、映画で経験しているいろいろな制約からは、自由ですね。でも、その自由を感じ続けたいから、小説を本業にはしたくないんです。軸足は常に映画のほうに置いていないと、一瞬で書くことが嫌になると思いますよ。

――ではあくまで映画監督として小説を書いていく、と。

砂田 うーん。

西川 いいんだよ、転向したって。社長に怒られるかもしれないけど(笑)。

砂田 私はちょっとどうなんだろうなあ……。どちらが軸かなんて、そういうことを考えるレベルに達していない気がしますね。タイミングをいろいろ逃しがちなので、なんとか必死にそれをつかんでいる段階というか。

――フィクションを書くようになって、いわゆる劇映画を撮りたいと思うようになりましたか?

砂田 そうですね。元々、フィクションをやりたいと思って是枝さんのところにも行ったし、たまたま最初の監督作はドキュメンタリーになったけれど、いつかはフィクションをと思って、今オリジナル脚本も書き始めています。

――じゃあ、次回作は劇映画になるんですか?

砂田 準備はしています。

――小説を書くにあたっては、映画化を意識して書いているんですか?

砂田 まったく違いますね。一度、映画を撮るために書いたプロットを小説にしたことがあったんですが、あまりのつまらなさに絶句したんですよ。

西川 プロットは出来ていたんだよね?

砂田 そうです。でも小説に落とし込んだら、まったく面白くなくて。それで今度小説を書くときは映画と全然違うところで書いたほうがいいなと思って、2作目の『一瞬の雲の切れ間に』は書いたんです。何を書くかも、指を動かしながら決めたという感じです。

――『一瞬の雲の切れ間に』も、小説の『永い言い訳』も、章ごとにどんどん視点が変わっていきますね。視点を変えていくというのは、映画ではあまりやらないことだと思いますが、そこは意識されたんですか?

西川 私にとって小説は、いかに映画でやれないことをやるか、ということなので。映画では声に発していない言葉というのはなかなか表現出来ないですし、モノローグを使っても限界がありますし。そういうことで、『永い言い訳』は“ぼく”の一人称で書き始めたんですが、「私の筆力では保たないな」と思って、三人称に飛んでみて、それから別の人の一人称になり、と全然、設計しないで書いていったんです。映画では、そんなこと絶対に出来ないんですよ。何の計画もなしには作れない。もっとわかりやすい起承転結までを見通せないと、シーン1を書き出せないんですよね。でも、小説は全体をかためていかないほうが、たぶん面白いんですよね。だから一章、一章の中身は何も考えず書き始めて、一章を書き終わってから、次の章では誰にいくか、と考えてはいましたね。

砂田 でも、映画化するのは決まっていたんですよね?

西川 大前提。だからそういう意味では、今まで書いた小説よりは『永い言い訳』は先を見越しているよ。このシーンはどういう風に撮るのか、とか、ここは映画にしないシーンだな、とか思いながらは書いている。

砂田 じゃあ、少しは映像が浮かんではいるんですね?

西川 今までよりは。『きのうの神様』という小説は、『ディア・ドクター』を撮った後に書いたんですが、映画のために僻地医療を取材しに行ったときの材料がたくさん手元に残っていて。あんなに面白い話をもったいないな、と思っていわば残りもので書いたので、映像にする気はまったくなかった。今回はそれとは全然違うよね。

――小説の『永い言い訳』は、映画とまったく違うところからスタートしたわけではないんですね。

西川 映画を作る前提で、その土台作りをしっかりしようと思って小説を書いた経験がないから、今回はそれを試してみようと思って書きました。次回もこのプロセスを踏むとは限らないですが。

――まったく映画化も、もしくは映画の取材から派生したものでもない小説を書くお気持ちはあるんでしょうか?

西川 それは別のときにやっていて。小さい小説ですけれども、まったく映画化するつもりはなく戦争について書きました(『その日東京駅五時二十五分発』)。少なくとも私の手で自ら映像化することは今後もないと思います。小説を書くという活動に関して、まったく計画性がないので。いつ、自分が映画を作るかというプランニングがあくまでも自分の軸になるので、その間の良いタイミングでものが書ければ最高だと思っていますね、私の場合は。次は、小説じゃないような気もしますね。

――砂田さんは、もしかすると書くほうが中心になる可能性もあるんですか?

砂田 私の場合、映画が終わって、静かな時間に書きたくなることが多いんですね。家にこもって、会社にも姿を現さずに書いてました。映画ってすごくたくさんの人が関わるから、上へ、上へ、拡げて行く感じが私の中にはあるんです。小説はもっと自分の中を掘っていく印象があって、そういうタイミングで書く場を与えられるというのは、とても私にとって良いことだったので、これからもそういうことはしていきたいですね。でも、まだまだ映画も頑張っていきたいので、どちらか一本っていうことはないですけど。ただ、書きたくなくなることはないと思います。

2016.10.12(水)
文=石津文子
撮影=志水 隆