「今度は私たちが魔女に…」最終回の制作秘話
――最終回を迎えた今だからこそ伺いたいのですが、物語のクライマックスにおいて、シタラとドレゲネが手を結び、「今度は私たちが魔女となりましょう」と言い放つシーンは、鳥肌が立つほど鮮烈でした。この結末に対して、山田監督はどのような思いを託されたのでしょうか。
あの「魔女となりましょう」というセリフは、どこか非常に危険な香りを孕んでいて、観ている側に少しのヒリヒリとした不安を抱かせますよね。決して手放しのハッピーエンドというわけではないかもしれない。ですが、あの過酷な世界を生き抜いてきたシタラとドレゲネという二人の女性が、手を取り合って同じ方向を見据えた瞬間の危うさ、結託の強さ、そして一瞬の輝きのようなものが、たまらなく魅力的に映るんです。
――歴史の中で「魔女」という言葉は、往々にして権力や無理解によって女性たちを排除し、貶めるためのレッテルとして使われてきました。しかし彼女たちは、その言葉を知恵ある賢者の証として、自らの意志で引き受け、名乗ります。
「ジャードゥーガル」というタイトルがまさに「魔女」という意味ですが、シリーズ構成を手掛けられた加藤還一さんが、第1話から緻密に物語を積み重ねてくださったからこそ到達できた、鳥肌が立つような素晴らしい構成だったと思います。
――シタラが、モンゴル帝国の第2代皇帝オゴタイと、「どうして星が空をめぐるか」について議論するシーンも印象的でした。どのような演出意図が込められていたのでしょうか。
あの時のシタラは、オゴタイという怪物の底知れなさ、まるで巨大なブラックホールを目の当たりにしたような圧倒的な畏怖の念を感じてしまっていたと思うんです。自分がどれほど知識を身につけ、学びを武器にして戦いを挑もうとしても、まるで歯が立たない。自分の信じてきた正しさが通用しないという、何億光年の孤独のような巨大な無力感に襲われたとき、シタラならどうするだろうと考えました。その結果、「これはもう、草っぱらに大の字になって寝転がるしかないな」と。途方に暮れながらも、空の広大さに身を投げ出すシタラの姿を通じて、世界の広大さと人間の小ささ、そしてそこから再び立ち上がるための呼吸のようなものを表現したいと思い、シナリオやコンテに組み込んでいただきました。
