冨士信仰が息づく聖地を巡る

信仰の道を辿り森と人々の歴史に向き合う

 「信仰の対象と芸術の源泉」として世界文化遺産に登録された富士山。人々は、美しさと噴火の畏怖をあわせ持つこの山を、神が宿る存在として仰いできた。

 火山が生み出した大地には、苔やシダ、樹木が幾重にも命を重ねる森が広がる。そこには、自然とともに、祈りの時間が積み重なっている。

 「星のや富士」のアクティビティ「脱デジタル滞在・富士~魂を清める~」は、富士吉田の象徴である金鳥居から始まる。吉田口登山道の最初の門として「一の鳥居」とも呼ばれるこの鳥居は、俗界と富士山の信仰世界を分かつ結界だ。鳥居をくぐり、北口本宮冨士浅間神社へ続く通りを進むと、「御師まち」に出る。

 御師とは、各地から訪れる参詣者を迎え入れ、登拝の案内や祈祷を行ってきた人々のこと。御師まちには最盛期には80軒以上の御師の家が並び、富士参詣の拠点として栄えた。

 その面影を今に伝えるのが、500年以上の歴史を持つ御師の家・菊谷坊である。

 「富士山は、古くから“登ることで心身を清める山”として信仰されてきました。江戸時代には富士講と呼ばれる信仰集団が各地で組織され、『江戸は広くて八百八町、講は多くて八百八講』とうたわれるほど、富士信仰が盛んだったそうです」と18代当主は話す。

 富士山が“眺める山”ではなく、“祈りを捧げる山”であったことが深く理解できる。

 御師の家の奥には、富士山の神を祀る「御神前」が設けられている。登拝者たちはここで祈りを捧げ、「六根清浄」と唱えながら山頂を目指した。眼、耳、鼻、舌、身、意―六つの根(感覚)を清め、穢れを祓いながら歩く。その行為は、登山というより、自らを浄めるための巡礼であったのだろう。

 菊谷坊では、本来は御師が刷る「牛王刷り」も特別に体験できる。牛王とは、登拝の無事を願う護符で、菊谷坊には各地の講が奉納した版が今も大切に残されている。なかでも印象深いのは、庚申伝説に由来する猿と富士山を描いた版だ。富士山は紀元前301年の庚申の年に現れたとされ、そのため猿は神の使いとされてきた。

 菊谷坊の次に向かった北口本宮冨士浅間神社は、1900年以上の歴史を持つ霊験あらたかな神社。神職は、「浅間とは古い言葉で火山を意味し、この地では富士山そのものを“浅間”と呼んできました」と語る。

 鳥居がそのまま登山口となっているのは全国でもここだけだという。

 参拝後は、吉田口登山道の起点「馬返し」へ。かつて人々はここで馬を返し、自らの足で聖域へ踏み入った。石鳥居の両脇には、合掌する猿の像が置かれている。神の使いである猿は、この地を守る存在として祀られてきた。

 馬返しを越えると、樹齢300年を超える杉や檜の森が現れる。湿り気を帯びた土の匂い、木々の間を抜ける風、静寂の中に響く自らの足音。歩みを進めるほどに感覚は澄み渡る。

 木々の息吹や静寂に身を委ね、祈りを重ねてきた人々の時間に触れることで、森を深く識ることができる。

「Activity Route」

星のや富士→金鳥居→御師の家→北口本宮冨士浅間神社→吉田口登山道の起点「馬返し」からトレッキング→星のや富士

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※この記事のデータは雑誌発売時のものであり、現在では異なる場合があります。