2人だけの長旅
結局、ハーンと西田の夏休みの「漫遊」は計画変更となり、8月10日、3人で一旦松江に戻った後、西田は1人で大阪に向けて旅立った。
一方ハーンは11日に、友人のペイジ・M・ベイカーに宛てて手紙を書き、その中でセツとの結婚を報じて、「もちろん、妻の写真はお送り致します。お話しておかなければならないことは、国籍法上の問題があるため、ただ今のところは、ただ日本風に結婚しているということです」と述べ、続いて、国籍の違う2人の結婚に絡む法律上の問題を、セツヘの温かい配慮を籠めて詳細に書き記している。
その3日後、ハーンとセツは連れ立って、『知られぬ日本の面影』所収の「日本海に沿って」で描かれる、「2人だけの初めての長旅」に出た。松江に帰った翌々日(8月末日)には、西田を西洋料理の昼食に招いた─「3人で旅行の話を致しまして愉快でした」とセツは語っている。
ハーンは、アメリカにいる親友のエルウッド・ヘンドリック宛の手紙で、「私の家庭生活は、この上なく幸福なものとなり、まさに私がこの地を去りたいと思い始めた時に、私をこの土地にしっかりと縛りつけることになってしまいました」と記した後、先に引用したチェンバレン宛書簡に見られる日本女性の賛美を繰り返して、「総じて、女性たちは私が今まで見て来た中で、間違いなく最も優しい存在です。日本人の善いもののすべてが彼女たちの中に籠められています」と書いているのであって、セツとの結婚に大いに満足していることがよく示されている。
彼は同じヘンドリックへの手紙の中で、「妻を女王のように着飾らせている」とも書いているが、女中の八百は、後年この頃を回想して、「節子さんは終始日本服で、髷は丸髷(まるまげ)、実に立派な奥様ぶりで大層先生の気に入っておりました」と語っている。
セツもまたハーンに尽くした。彼の目のためには、八百の母に月1回の一畑薬師への代参を頼んだし、彼の健康によく気を配って、1年後にハーンが、久しい間自分がこんなに強いと感じたことはなく、着物が小さくなってしまったと言った時に、セツは「良い奥さんを持ったからだわ」と応じたものである。
長谷川洋二
歴史家、八雲会会員。1940年新潟市生まれ。新潟大学人文学部で史学を専攻、コロンビア大学のM.A. 学位(修士号1974)・ M.Ed. 学位(1978)を取得。一時期会社員、前後して高等学校教諭(世界史担当)。旧著『小泉八雲の妻』(松江今井書店、1988)のほかに『A Walk in Kumamoto:The Life and Times of Setsu Koizumi, Lafcadio Hearn's Japanese Wife』(Global Books, 1997)、『わが東方見聞録─イスタンブールから西安までの177日』(朝日新聞社、2008)がある。

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