死の前夜に見た「不思議な夢」

 それから5日ほどたった日、書斎の庭の桜が、ひと枝、返り咲きました。9月というのに、妙なことです。これを知った八雲は「ありがとう」と喜んでそばまで行き、「ハロー」と言って花を眺めました。花は1日だけ咲いて、夕方には寂しく散ってしまいました。セツはこの桜は八雲にほめられ、愛されていましたから、いとまごいにきたのでしょう、と思いをはせています。

 同じ頃、虫の音をこよなく愛する八雲が大事に飼っていた松虫の声音が、とぎれとぎれになってしまいます。あわれに思った八雲は暖かい日を見計らって草むらへ逃がしてやろう、とセツと約束しました。弱ってゆく自らと松虫を重ねていたのでしょう。

 9月26日。

 八雲は西洋でもない日本でもない、とても遠い所へ旅した夢を見ました。不思議な夢だったそうです。日本に来るまでに「ゴースト」という随筆を書いたことを八雲は思い返します。

 そこには、生まれ故郷から漂泊の旅にでたことのないひとは、一生、ゴーストのことを知らずに過ごすけれど、漂泊の旅人はそれをじゅうぶんに知り尽くしている、とつづっていました。地球半周をめぐるゴーストと出会う旅の人生を、反芻(はんすう)したような気がしたのでしょう。ひとり夢の余韻に浸っていました。

 その朝、一雄に「グッドモーニング」と声をかけられ、「グッドモーニング」と返そうとしたら、この日はどうしたわけか「プレザント、ドリーム(おやすみなさい、よい夢を)」と言ってしまいます。一雄はけげんな顔をしながら、「ザ、セーム、トウ、ユー」と答えました。悲しいかな、もうかなり弱っていたのでしょう。

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