足を踏み入れた離れには……
「し、失礼いたします……」
離れの中には誰もいなかったのです。
「え……」
ガランとした離れの中でAさんは、この配膳作業の目的が一気に見えなくなったこと、そして自分が余計なことに足を突っ込んでしまったのでは……という不安と恐怖を覚えたそうです。
「こ、ここに置いておきますので、何かあったらお申し付けください」
なんとなく目星をつけた場所に御膳を置いてそそくさと外に出ると、月明かりの中に立っていた女将さんと目が合いました。
「うん、問題ないわね。じゃあ、明日からこの配膳もお願い」
「え、あの……」
「守ってね、時間」
新たに加わった奇妙なルーチン。何度足を運んでも見えないお客の姿。
しかし不思議なもので、最初こそ不気味に思っていたAさんでしたが、いつしかその奇妙な作業は皿洗いと同じ“ただの通常業務”だと感じるようになっていったのです。
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文=むくろ幽介
