第1回:アパルトマンの大家さんから驚きの通告
あの恐ろしい連絡が入ったのは、夏休みをあと1カ月ほどに控えた、6月3日のことだった。
6月が、フランスで子育て中のママには“魔の6月”と呼ばれるのをご存知だろうか?
長い夏休みを終えた9月に、アメリカと同様、始業式を迎えるフランスでは、この6月が終業式シーズンにあたる。
1年のうち唯一、我が子の学校生活を垣間見られるクラスの発表会や小さな劇が催されるのもこの月。親もこの日ばかりは勤務先に休みを取って、両親揃って大挙出席する。ちなみに私の子供たちが通うのはバイリンガルの学校なので、フランス語と英語の参観日が違い、2つの参観日×2人の子供で、4日は学校に通うことになる。
また、10歳を過ぎてなお、盛大な誕生会を企画するフランスの慣習にあって、6月は6月生まればかりか、夏休み中に誕生日を迎えてしまう7・8月生まれの子供たちを持つ親が、一斉に誕生会を開くので、ふだんの子供の世話はヌヌー(ベビーシッター兼家事手伝いする人)さん任せのママンも、その罪滅ぼしもあるのか、こうした誕生会にできるだけ我が子を出席させて喜ばせようと奔走するのだ。
私も例外ではない。娘と息子、双方が招待された誕生会に連れていく(そうそう、アスレチック場やサッカー場を貸しきっての誕生会などはしばしばパリ市内ではなく、車で1時間半はかかる郊外で催される。涙)のに毎週末のほとんどを費やし、しかも同日に2つの誕生会の掛け持ち、なんていう日もあった。
話がだいぶそれてしまったけれど、あの連絡があったのは、そんな子供がらみのイベントがこれから目白押しだという6月の頭だった。引っ越しして1年にも満たないアパルトマンの大家さんから、自分たちの赴任先の中国から急遽、パリに戻れることになったので、3カ月後の9月4日までに家を明け渡してほしいと言われたのだった。
家具付き物件についての常識とは?
この家に越してきたのは、去年の8月の終わりだった。その際には、最低でも3年間は中国に駐在することになると聞いていた。それを、いくら仕事の都合とはいえ、1年にも満たずに家から追い出すという話は、誰に話しても驚かれ、またこの大家さんに対しての憤怒を皆が表すのだった。でもそうした中、ひとりの友人が教えてくれた。
「トウコ、あなたが借りているアパルトマンは“meublé”(家具付きのアパルトマン)でしょう? “vide”(家具の付いていないアパルトマン)の物件だったら、大家は最低3年間は借り主の居住を保証する義務があるのだけれど、家具付きは違うのよ。大家が退出を告知した日から3カ月以内に出なければいけないの。(賃貸)契約書を見てご覧なさい……」
はたして、その通りだった。契約書をよく読み込んでみると、たしかにそのような記載が……。家具付き物件、というのはパリに暮らして15年で初めての経験だったが、引っ越しはひとり暮らしも含め5回目だったから、もう慣れているものとタカをくくって、契約書にも端から端まで目を通さずにサインをしてしまっていた。自分の甘さをのろった。だけど……。もし読み込んでいたとしても、大家さんの口からでた、最低3年は中国から戻ってこないという言葉をやはり鵜呑みにして、サインしてしまったような気がする。
パリの引っ越しシーズンは夏休み直前
ではなぜ“家具付き物件”なんかを選んだのか? ふつう、こうした物件は、パリに短期で留学する学生さんか、旦那さんの仕事の都合でパリに赴任することになった一家が仮住まいとして求める。私としても、パリ暮らしも16年目を迎え、丁寧に選んできた家具がわんさかあった。だから初めは、賃貸住宅サイトも“vide”だけを調べていた。が、時は8月の末。9月からの新学期にそなえ、パリジャンの年間の引っ越しシーズンのピークは夏休みの直前だ。皆新居を決めて落ちついてから、夏のヴァカンスに出る。もちろん、また秋から徐々に物件が出てくるけれど、いってみれば8月の末というのは、皆にごっそり持っていかれた直後の、物件端境期なのだ。
あえて、この時期に、じゃあなぜ引っ越し? という話はまたの機会にするとして、とにかくめぼしい物件がなかった。そこで、少し枠を広げて、家具付き物件にも目を通すことにした。大家さんが付けた家具なんて、“cave”(地下倉庫)にしまい込んでしまえばいい、そう軽く考えていたし、実際に家具付き物件を見てみると、平米数に対して、“vide”物件よりも家賃が若干安かったのだ。
こちらの連載に書き下ろしを加えた単行本『パリに住むこと、生きること』が、2016年11月25日(金)に発売になります。
2014年に結婚を解消してから、「NEWS23」(TBS)のキャスターを引き受けるまで。雨宮塔子さんの住まいと人生を巡るエッセイです。
雨宮塔子(あめみや とうこ)
フリーアナウンサー/エッセイスト。
1970年東京生まれ。成城大学文芸学部英文学科卒業。1993年TBS(株式会社東京放送)に入社。同年「どうぶつ奇想天外!」、翌年「チューボーですよ!」の初代アシスタントを務めるほか、報道番組やスポーツ番組、ラジオ番組などでも活躍。1999年3月に6年間のアナウンサー生活を経てTBSを退社。単身、フランス・パリに渡り、フランス語、西洋美術史を学ぶ。2002年パリ在住のパティシエと結婚。2003年長女を、2005年長男を出産する。2014年結婚生活を解消。2016年7月「NEWS23」(TBS)キャスターに抜擢。拠点を日本に移す。雑誌「ロフィシャル ジャパン」でもエッセイを連載中。
著書に『金曜日のパリ』、『雨上がりのパリ』(ともに小学館)、『それからのパリ』(祥伝社)、『パリ アート散歩』(朝日新聞出版)、『パリごはん』『パリのmatureな女たち』(幻冬舎)、『パリ、この愛しい人たち』(講談社)等。
Column
雨宮塔子のパリに住むこと、生きること
2014年に結婚を解消してフリーとなってからの生き様と生活について、「パリの生活者」の視点で綴るエッセイ。2016年7月から日本で「NEWS23」(TBS)のキャスターに就任した雨宮塔子さんが、16年間住んできたパリの情景を振り返ります。※こちらの連載に書き下ろしを加えた単行本『パリに住むこと、生きること』が、2016年11月25日(金)に発売になります。
2015.09.13(日)
文・撮影=雨宮塔子
写真=橋本篤