「聞き流さない」というのが自分の愛情表現なんだ
わが家で言うと、私はやっぱり独りよがりで、自己愛が強いんですよね。河野さんと同じで、妻は、必要なときにもっともっといたわってほしかったっていう思いを抱えてきたはずです。夫婦喧嘩のときに、いつも同じサイクルに入ってしまいます……妻は、昨日も今日こんなことがあって、傷ついて、こんな大きな傷で辛いの、だから助けて……と。一瞬でも共感して「ああ、大変だったね。大丈夫だよ」と夫に慰めてほしいというだけなのに、私ときたら、「あ~その傷ができたのはこういう理由で、あなたがそういう反応をしたからじゃない? 違う? この痛みを消すにはこう考えるしかない。でしょ?」などと、原因を分析して、今後の処方箋まで出してしまう。
すると、妻は、「違うのよ。ほんとにあなたは何も分からないのね、あ~また癒やされずカサブタが増えるばかり」と嘆くわけです。「これは数分で終わる話で、こんなに言い争うために振った話じゃないの。私の心のカサブタを、ただほんのひととき撫でてほしかっただけ、それで終わりの話なの」と。私としたら、アカの他人に、ここまで親身になって考えたり、言葉をかけたりなんてしないよ、「聞き流さない」というのが自分の愛情表現なんだ、と反論するんですが、言えば言うほど呆れられてしまう(笑)。それでも諦めず付き合ってくれている妻には感謝しているのですが……。
河野さんの歌には、そんな女性の健気さや激しさが満ちていて、半ば無意識にとっさに口走る言葉の切れ味にらしさが出ています。人を愛するときも、憎むときも、骨の髄まで徹底している。河野さんの愛し方というのは、塚本邦雄の<馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ>という愛し方だそうです。<馬を洗うならば馬の魂が澄み切って輝くまで洗え、人を恋うならその人を殺めてしまうほど激しく恋え>……永田先生はずいぶん翻弄されたと思いますが、だからこそ強く惹かれたのでしょう。さらに河野さんは、幼いときに母親を亡くした永田先生の淋しさも請け負い、母性も捧げ、四十年かけて最後まで全身で愛し抜いたのですから。
