“顔面課金”を重ねたその先に……
昨今の美容のキャッチコピーは、どれもポジティブで耳心地が良いものばかりです。
「誰かのためじゃない、自分の機嫌を取るため」
「自己肯定感を高めるための正当な投資」
誰かに強制されたのではなく、自分の意志で選んで美しくアプデする。それは確かに自律的で前向きな選択に見えます。
しかし、この「アプデ」という耳あたりの良い言葉は、肉体にメスを入れる心理的負荷を消し去り、主体的な自己投資へと見せてくれる便利なカモフラージュでもあります。
「ダウンタイム」を観ていると、ふと背筋が寒くなる瞬間があるはず。私たちが「こうなりたい」と願う顔は、本当に自分の中から湧き出た理想だったでしょうか。
陶器のような肌、黄金比に沿って削られた顎や尖った鼻、分厚い唇……。OSが開発側の都合で仕様変更されていくように、「アプデ後の顔」もまた、アルゴリズムや業界が提示する規格化されたトレンドに過ぎないとしたら。
「自分のためのアプデ」と信じ込まされ、次々と新しいバグを指摘されては、終わりのない有料パッチを買い足していく――。「自己肯定感」という優しい響きは、この“無限課金システム”を疑わせないための免罪符に過ぎないのではないでしょうか。
劇中で安達祐実が演じる板井佐緒里の姿は、このシステムの行き着く先を痛烈に示しています。夜の街で生き残るため、美貌という資本をすり減らしながら幾度となくメスを入れ、顔面課金を重ねていく佐緒里。
一度始めればもう二度と前の自分には戻れず、若さとトレンドの規格から振り落とされまいと、終わりなきメンテナンスの螺旋を滑り落ちていく彼女の焦燥は、まさにこの市場が強いる「永久課金」の残酷な現実そのものです。
