「人中短縮」って、いつから気にしてた?

 新しい言葉が定義された途端、それまで愛着のあったはずの顔のパーツが急に“直さなきゃいけない欠点”に見えてきて、検索すれば親切にもそれを解決する施術メニューがずらりと並んでいる。「ダウンタイム」のカウンセリング室は、まさにそんな“為的に作られたコンプレックス”が売り買いされる最前線なのです。 

 この現代のリアリティを象徴しているのが、遠山クリニック副院長の小宮ルイ(間宮祥太朗)です。小宮はいわゆる「直美(ちょくび)」。初期研修を終えたあと、過酷な一般外科などの修練を経ず、最短ルートで高収入が得られる自由診療の美容外科へ飛び込んだ若手医師です。

 命や身体の機能に泥臭く向き合ってきた沼田文からすれば軽薄極まりない存在ですが、小宮は患者の心を掴むのが抜群に上手い。端正なマスクと柔らかなトークで不安を解きほぐし、「ここを数ミリ変えるだけで、見違えるほど垢抜けますよ」と高額施術を淀みなく提案していきます。

 彼にとって美容医療とは、命を救う医療というよりも、新自由主義のロジックに貫かれた「極めて洗練されたマーケティングビジネス」にほかなりません。そしてこのビジネスが恐ろしいほど機能する背景には、私たちの社会に定着したある残酷な倫理観があります。

 YouTubeの整形ドキュメンタリー「ビューティースタジアム」や、夜職のオーディション番組「LAST CALL」などでは、“整形総額1000万円”といった金額が誇らしげに語られます。

 それらを見て無意識に感じるのは、「自分でお金を稼ぎ、身体に課金して、痛いダウンタイムを乗り越えることこそが正当な努力である」という価値観ではないでしょうか。しかし裏を返せば、課金に踏み切らない容姿の悩みは「甘え」や「自己管理不足」として冷酷に切り捨てられてしまう危うさを孕んでいます。

 劇中で描かれる、声優志望の田中善子(天野はな)のエピソードは、まさにその残酷な現実を浮き彫りにしています。本来であれば声の演技力や実力で評価されるべきオーディションの場で、彼女は容姿という見えない壁に直面し、役を掴み取るための「必要経費」としてクリニックの門を叩く。

 純粋な夢を追う場所ですら、外見を整えることが暗黙の前提条件になってしまっているのです。

 日本でも昔から採用活動での「顔採用」や恋愛市場での値踏みはありました。しかし以前は、理不尽さに傷つきながらも「人は見た目じゃない」という素朴な道徳観が、個人の尊厳をかろうじて守る盾になっていた。

 しかし美容医療が身近になった今、その盾は打ち砕かれてしまいます。「お金と決断力次第で変えられる」世界では、外見の差は「努力不足の怠慢」という自己責任論へとすり替わってしまうのではないでしょうか。あらゆる価値が市場競争と自己責任に回収されていく社会において、外見という“スペック”を整えることは、もはや生存戦略の必須条件になりつつあります。

 小宮ルイのようにその不安を巧みに突き、「課金という努力」を後押しする医療ビジネスは、この逃げ場のないシステムの隙間に完璧に適応しているのです。

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