クマ被害が社会問題になっている。2025年度のクマによる人的被害の被害者は238人、うち13人が死亡。これまで最も多かった23年度(被害219人、死亡6人)を大きく上回り、過去最高となった。
民俗研究者・筒井功氏の最新刊『クマの民俗誌』は、長年の取材とフィールドワークを通して書き留めた、クマの生態についてやマタギの暮らし、絶滅地域の記録などを丹念にたどり、民俗学の視点から「人間と野生動物が共に生きる社会」のあり方を問いかける。
本書より、とある村で起きたクマによる襲撃事件を一部抜粋してお届けする。
» 「ヒグマとツキノワグマの間に生まれたクマ。生殖能力は…」野生で出会うことのない両種が動物園で共同飼育。そこで起きた“悲劇”と“はからざる実験”
三毛別事件、福岡大ワンゲル部事件とは違い「世間から忘却」
ツキノワグマが人間を襲って、けがを負わせた事例は、ある時代(一つの画期として1980年代ごろを挙げうる)までは、かなりまれであった。そんなことが起きたとしても、ほとんどが被害者は1人か、せいぜいで2人であり、いちどきに数人が難に遭うことなど、まずなかったのではないか。
そんな中で、昭和26年(1951)10月13日に、山梨県北巨摩郡朝神村浅尾新田(現北杜市明野町浅尾新田)で、クマが次々と住民に襲いかかったできごとは、珍しい事件だったといえる。このときは、わずか3時間20分ほどのあいだに、10人が重軽傷を負ったからである。
現場は、とくに山深いところではない。茅ヶ岳(1704メートル)の西麓に位置するとはいえ、同県韮崎市の中心部から北へ8キロばかりの農村地帯であった。
この事件は、死者が出なかったためでもあろう、先に取上げた北海道の三毛別ヒグマ事件や、福岡大学ワンダーフォーゲル部事件などと違って、すでに世間からは忘却されているように思われる。資料もとぼしいが、さいわい高橋喜平『ツキノワグマ物語』(1974年、筑摩書房)に詳しい記録が残されている
著者の高橋喜平氏(1910―2006年)は、雪崩や野生動物の著名な研究者で、朝神村事件のことは現地で聞取りもしていた。細部では、当時の『山梨日日新聞』の報道とは、いくぶん異なった点もあるようだが、本書では同書からの引用によって、事件の経緯を記させていただくことにする。
ツキノワグマが暴れまわった、ほぼ長方形の一画には、平賀進、平賀熊雄、鈴木梅吉、長田重次(関係者の敬称略)の農家が、逆時計まわりで、それぞれの角を占めて並んでいた。そのあいだには、竹林や畑があり、長方形の外側も水田や畑であった。
午後4時ごろ、1頭のクマが平賀進宅へ現れ、庭先で仕事をしていた妻のアサジ(30歳)に襲いかかって、うしろから頭を爪でひっかいた。そのあと、玄関に移り、四男の辰男(3歳)の額を一撃してから、家の横の畑で、歩いていた鈴木ミチ(50歳)にぶつかった。
クマは、いったんはす向かいの鈴木梅吉宅の方へ走っていったが、また平賀進宅へもどってきて、三男の正文(4歳)、進の母アサ(74歳)、たまたま居合わせた遠藤トモ子(5歳)の3人を踏み倒したり、ひっかいたりした。中でも、アサは何度も攻撃されて、肩の骨がばらばらになり、顔には36針も縫うけがを負う瀕死の重傷であった。
