1920年代に思想家の柳宗悦、陶芸家の河井寬次郎、同じく陶芸家の濱田庄司が中心となって進めた、日常の暮らしの中で使われる道具に美を見出す「民藝運動」。この思想は100年たった今でもなお色褪せることなく、注目を集め続けている。
民藝運動の中心人物のひとり、河井寬次郎が民藝に衝撃を受けた頃の作品51点を一挙に公開する展覧会『民藝SHOCK!!―没後60年 静嘉堂の河井寬次郎』が東京・丸の内にある静嘉堂文庫美術館で開催される。
開催にあたり、河井の民藝との出会い、展覧会の見どころについて、静嘉堂文庫美術館の学芸員・山田正樹氏に伺った。
「河井の作品は何の価値もない」が新聞に出た
もともと河井は柳に対してあまりいい感情を持っていなかったようです。というのも、1921(大正10)年に、東京と大阪の高島屋で、河井のデビューを飾る展覧会が開催されたんですけど、柳がその批評を伊藤氏なる人物にハガキで送ったんです。それが何かの間違いで、北陸で発行されていた地方新聞『越後タイムス』の記事になってしまった。のちに柳の本意で出したものではないという訂正記事も出たようですが……。
記事では「河井寬次郎の作品は技術はすごいけど、古いやきものの追従に過ぎないもので、何の価値もない」といったようなことが書かれていまして。そんなことがあったので、柳としても河井に対して気まずさがあったし、河井も柳に対して「ハラが立つ」感じがあって、会わなかったらしいんです。
そんな2人を引き合わせようとしたのが濱田で、京都の河井の家にいるときに「(濱田が英国から持ち帰った)スリップウェア※を見に来ないか?」と、柳を誘ったようなのですが、家に来たものの「河井には会わない」という態度をとり、河井も「俺も絶対会わない」となってしまったらしく……。その時は結局会わなかった。 ※器の表面にスリップと呼ばれる泥状の化粧土を流しかけたり、模様を描いたりして装飾された陶磁器
そののち、やはり2人を引き合わせようと、濱田が強引に河井を連れて柳の家に行ったんです。そこで、河井が柳の家に飾ってあった木喰上人(もくじきしょうにん)作の地蔵菩薩像を見て衝撃を受けた。その様子を見た柳が、「こいつは美がわかる!」となって、そこで初めて2人は意気投合したらしいんです(笑)。
