八雲とビスランドは相思相愛の「心の恋人」
八雲とセツがともに暮らし始めた1891(明治24)年、ビスランドもニューヨークの弁護士チャールズ・ウエットモアと結婚しました。子どもはいませんでした。
ビスランドと八雲は、たくさんの書簡を交わしています。八雲もまた彼女の書き手としての才能に感服していました。
ふたりの間柄には機微があり、相思相愛の「心の恋人」という趣が感じられます。日米に離れていますから、のりを越えるべくもありませんが、往復書簡にはラブレターといえるような文面も記されています。
「あなたの日本に関する本を読み終え、ここ2、3日どんなに楽しませていただいたかお伝えしたいという気になった。私はあなたのいる日本をもう一度見たいと思い焦がれている」(ビスランドから八雲へ、1895年6月15日)
「何度も何度もあなたに宛てて手紙を書いては火の中に投じた。その後私は髪が灰色になり、今は3人の男の子の親。たびたびあなたが気に入るような書物を書きたい」(八雲からビスランドへ、1900年1月)
八雲は来日後九作目となる民間伝承や随筆などを収めた『日本雑記』(1901年)を、ビスランドに捧げています。
そして、1902(明治35)年7月の手紙では、
「12年前、日本へ行ってほしい、あなたが書いた本が読みたいから、と言ったのを思い出す。もうすぐ日本についての十冊目(『骨董』)が出版される」
という、生涯胸に抱きつづけた心情を八雲は明かしています。
来日前から『古事記』を読み、日本への思いを募らせていた八雲。1890(明治23)年の日本への出発を前に、世界一周の旅で日本に心ひかれたビスランドの言葉に背中を押されたのでしょう。八雲は来日前からビスランドに恋心を抱いていたふしがあります。ただ、若い頃の離婚の痛手がなお残り、踏み出せなかったのかもしれません。
