帝大解雇、さらに健康不安を抱えた八雲にビスランドは…

 加えて、この手紙では長男一雄の教育のため、1年か2年アメリカで働けるように取りはからってほしい、とも頼んでいます。

 ビスランドも十数年ぶりに、どうしても八雲に会いたかったのでしょう。米国の大学で講義ができるように奔走しました。

 東部の名門コーネル大学で20回連続講義の計画が立てられましたが、コレラの発生によってとりやめになりました。諦めきれない彼女は、ハーバード大学などに働きかけますが、結局、不首尾に終わります。この間、八雲は帝大を解雇され、心臓のほか、気管支炎を患い、手放せなかったタバコもやめざるを得ない症状にさいなまれます。

 肩を落とす八雲に、ビスランドからこんな文面が送られました。

「あなたに病気と落胆が降りかかっているとは、毎日つらい思いのし通しです。私は自信を持っていますが、これまでだれ一人として私ほど誠実にあなたに愛情をもっているものはいません。あなたの最初の一行を読んで以来これまでの年月ずっと、あなたから頂いた無限の楽しみと霊感に感謝しています」

 彼女の熱意を意気に感じた八雲は、コーネル大学での講義向けに、これまでにない書物を書き上げていました。紀行文でも再話作品でもない、硬質な論考集です。日本人の精神史をテーマにしたそれは、図らずも日本とアメリカの転換期に大きな影響を及ぼすことになります。

次のページ 八雲の死後、3度来日。そのたびにセツのもとへ