セツの助言で生まれた名ゼリフ
これもよく知られた「耳なし芳一の話」は、八雲が最も気に入った物語のひとつです。話を語り聞かせるだけでなく、セツも良い仕事をしました。ある亡霊のセリフを「Open the gate(門を開け)」と当初はしていましたが、推敲(すいこう)段階で、それよりも「開門(kaimon)」という言葉を使い、日本語のきっぱりとした強い響きを伝えては、とセツが助言しています。
「耳なし芳一の話」の執筆中、八雲はひときわ入れ込んでいました。『思ひ出の記』によると、
〈日が暮れてもランプをつけていません。私はふすまを開けないで次の間から、小さい声で、芳一芳一と呼んで見ました。『はい、私は盲目です、あなたはどなたでございますか』と内からいって、それで黙っているのでございます〉
セツがおみやげに法師が琵琶(びわ)を弾いている博多人形を買って帰り、それとなく机の上に置きますと、八雲は「やあ、芳一」と待っている人にでも会ったように大喜びしました。
〈書斎の竹籔で、夜、笹の葉ずれがサラサラと致しますと『あれ、平家が亡びて行きます』とか、風の音を聞いて『壇の浦の波の音です』と真面目に耳をすましていました〉
このように、はたから見ると、おかしいぐらい物語の世界に浸りきるのが執筆中の八雲なのです。隻眼で右目も強い近眼でしたから、高さが1メートル近くある机をあつらえ、そこに突っ伏して猛然と書いていました。松江の小泉八雲記念館には、その机も展示しています。
セツもお手上げ…ゾーンに入った八雲
前にもふれましたが、普段は物音一つに敏感なので何かと気遣うのですが、「ゾーン」に入ると、さすがのセツもお手上げになります。
「パパ、カムダウン、サパー、イズ、レディ」
夕食ができると、子どもたちが声を揃えて伝えます。
「オールライト、スウィートボーイス」
いつもならそう言って、嬉(うれ)しそうに、少し踊るような感じでくるのです。
でも、執筆に打ち込んでいる時は返事がありません。待てども待てども食卓に来てくれないので、
「願う、早く参りて下され。子供、皆待ち待ちです」
などとセツが呼びにゆきます。それでも「はー何ですか」などと、とぼけたようなことを言います。食卓に来てもウイスキーとワインを間違えることもあり、とんちんかんなことをしてしまうのです。
