この記事の連載

 
 

「結婚制度は女に不利なことしかない」という動かしがたい現実を前に、あえて法律婚へと突き進んでみたらどうなる? 「結婚」というライフイベントをきっかけに、私は私自身の強い欲望と、そんな私を見守ってくれる大切な人たちの存在を改めて確認することに。魔法のない時代に生きる「魔女」たちとの交流を描いたエッセイ、第8回です。前篇を読む)

 伊藤亜和という名前が書類上消滅する。私を私たらしめたこの名前が、この世界から消える。私は祖父母や母とは違うお墓に入るのだ。そう考えると、やはりどうしようもなく寂しい。しかしそれは拒否感ではないことも確かだった。これは私にとっては避けがたくて必要な、卒業のようなものだと感じる。この先になにがあるのか見てみたいという気持ちを、きっと私は無視することができないのだろう。多少問題のある家族だったが、私がこうして新しい家族を作ろうと決めて、そしてそれがきっと素晴らしいものだと信じることができるのは、間違いなく家族のおかげだとしみじみ思った。私は私のことを気に入っていて、そして少しずつ、信じられるようになっている。それでもその一方で、彼の両親に「半分外国人ですが、受け入れていただけるでしょうか」と小さな声で言う私もいまだ存在していた。もし私と同じようなハーフの友人が同じようなことで悩んでいたら、私は躊躇いもせず「そんなの気にする必要ないよ」と励ますだろう。でも、自分のこととなると、やはり不安で、幼いころから居場所のなさにグズグズと悩んでいた自分が顔を出すのだ。私は自分だけで自分を承認することはできない。できるだけ受け入れられて、かわいがられたい。無事に結婚を承諾してもらい、翌日私たちは沖縄へ飛んだ。曇り空の博多から快晴の沖縄へ向かう途中、ゆっくりと旋回する飛行機の窓の景色は、あの日の夢でホウキの上から見た景色とよく似ていて、私はいつまでも遠くの方を見ていた。到着した那覇に一泊して、またその翌日はフェリーに乗って、私たちは友人に会いに離島へとやってきた。

 こころは島のレストランで黙々と働いていた。東京ではあまり見なかった少し冷たい表情が、彼女が本当に飾らないままここで過ごしていることを物語っていた。島の人たちがココ、ココ、と親し気に彼女を呼んでいるのを聞く。東京を離れて、彼女はありのまま愛されている。それを見て私もなんだか肩の力が抜けてしまい、夜の飲み会で彼に聞かせるつもりもなかった過去のしくじりをボロボロと白状しては「いや、今はそうじゃないよ」と弁明を繰り返した。彼は苦笑いしながら「べつに気にしないよ」と聞き流してくれて、民宿のオーナーがひっきりなしに入れるカラオケをひたすら歌って酒を飲み、夜遅くまで話をした。日中の強い日差しを受けた肌は早くも一層暗い褐色になっている。これじゃあ本当に「外国の人」みたいじゃないか。こまめに日焼け止めを塗らなかったことを東京に帰ってひどく後悔する予感がする。私の肌色を気にしているのは、少なくともこの空間の中では私だけだった。もし私の肌色がもう少しでも暗かったら、彼は私のことを好きになってくれていただろうか? 彼の家族は受け入れてくれていただろうか? 世界は差別のない世界に突き進んでいるけれど、ひとりひとりの心にある親しみやフェティッシュに嘘をつくことはできない。なによりも私自身が、この変化に居心地の悪さを覚えているのだ。すこし日焼けしただけのことで、私は私でなくなってしまう。こんな些細なバランスで心を揺さぶられてしまうなら、名前が変わったときはどうなってしまうのだろう。思ったよりも落ち込むかもしれないし、もしかすれば、新しく生まれ変わったような清々しい気持ちになるかもしれない。

2025.07.01(火)
文=伊藤亜和
イラスト=丹野杏香