「私、だめかもしれない。覚悟はできているから本当のことを教えてね。いろいろ整理しておかないと、あなたじゃわからないから」
と言う暢に、嵩は、
「大丈夫だよ。悪いところは全部切り取ったから」
ADVERTISEMENT
と答えた。転移のことは言えなかった。
正反対の夫婦
結婚して以来、暢は貧乏をものともせず「いざとなったら私が稼ぐわ」と、好きなように嵩に仕事をさせてきた。
嵩は、自分ひとりの収入で夫婦が食べていけるようになってからも、もうからないどころか持ち出しになる仕事をたくさんやった。自分が描いたものを残したくて自費出版で本を作ることもあり、『メイ犬BON』や『ぼくのまんが詩集』だけでなく、映画誌での仕事を集めた『しね・すけっち』という本も出している。
ADVERTISEMENT
なかなかヒットが出なかった40代のころは、お金のことは考えずに依頼を引き受けることも多かった。さまざまな分野で試行錯誤を続けたおかげで、50代から60代にかけて、これが自分の仕事だといえるものを確立できたのだが、それは暢のやりくりのおかげだった。

世事にうとく、好きなことには打ち込むが、そのほかのことにはものぐさな嵩に対して、暢はなにごとにも骨身を惜しまない努力家だった。嵩はお金の計算が苦手で、自分の収入がいくらあるかもよくわからない。経理をはじめとするあらゆる事務作業や雑用は暢がこなし、嵩は自分の仕事に集中すればよかった。
ただし暢は、ひたすら夫に尽くすというタイプではなかった。役割をきっちりこなし、あとは自分の好きなことをどんどんやる。
茶道を習い、弟子をとって教えるまでになった一方で、山歩きを趣味にしていて、しょっちゅう旅に出かけた。ひとりで行くか仲間と行くかで、嵩と一緒に行ったことは一度もない。

自分のからだほどもある大きなリュックを「えいっ!」とかつぎ、勇ましく家を出ていく暢を、運動が嫌いな嵩は、
「なんだか戦後の買い出し部隊みたいだねえ」
「よく山になんか登るなあ。ぼくは平地を歩くのもめんどうだ」
などと言って見送るのが常だった。
山歩きと言ってもかなり本格的で、20日間かけて北海道を回ったときは、大雪山系を縦走した。
山へ行く計画を立てながら「ここはステーションホテルに泊まろう」などと言っているので、嵩が「山の近くにそんなしゃれたホテルがあるの?」と聞いたら「駅のベンチでごろ寝するのよ」という答えが返ってきたこともある。
「よくご主人がお許しになるわね」と言われることもあるらしかったが、嵩は性格の違う者同士が一緒にいるからこそ面白いと思っていた。
〈「妻へのがん余命3か月の宣告」に直面したやなせたかしが、「暢(のぶ)のためにまだやれることがある」と覚悟を決めるまで〉へ続く

2025.05.19(月)
文=梯 久美子