服装について注意されたわけではないが、この場にいるだけでも蕁麻疹が出そうである。
十年前、生前贈与で貰える分は既に貰っている。今頃になって渡される遺産になど興味はなく、ただ遺言書が開かれるというので興味本位にやって来ただけなのだ。さっさと帰りたいなぁと思っていた矢先、突如として知らされた遺産の存在は、はじめを大いに困惑させた。
「お父さんがお前を名指ししたからには、きっと何か意味があるはずですよ」
着物姿の老母が言えば、スーツ姿の次兄も深々と頷く。
「変人ではあったけれど、意味のないことをする人じゃなかったしね」
「四の五の言わないで受け取りなさいよ。あんたの将来を心配して、保険のつもりだったのかもしれないし」
強い口調で続けた姉に、いやいや、とはじめは片手を振る。
「金ならともかく、今どき山なんか二束三文にしかならないんじゃねえの」
よう知らんけど、と言い終わるのを待ち構えていたように、相続手続きを一手に任されているという弁護士が口を開いた。
「すぐ隣に湖があり、温泉も近くにあります。別荘地としてロケーションには恵まれており、バブルの頃には小規模なスキー場を設けてレジャー施設を作ろうという話もあったようです。最近は近くに県道も開通しましたので、二束三文ということはないと思いますよ」
ほら、と姉は勝ち誇った顔を向けてきた。
「逆に訊くけど、オニーサマオネーサマはそれで納得していらっしゃるんです?」
処理の仕方を間違えなければ一財産にはなるのだろうし、維持費として用意された現金だけでもかなりの額なのだ。こういった場合、相続争いに発展するのが世の習いであるが、幸か不幸か、安原家は世間一般とはかけはなれた金銭感覚の持ち主ばかりであった。
「あいにく、お前に財産を遺してやりたかったお父さんの気持ちはよく分かるんでな」
父の事業を一部受け継いだ長兄が嫌味っぽく笑う。
「私達は、お前と違って食うに困ってはいないんだ。心置きなく受け取りなさい」
2025.03.14(金)