立場上、雪哉を育てるか否かを決めることになるのは梓だ。
あてつけの意味もあっただろう。怒りだって覚えていたに違いない。だが、もし自分の推測が当たっていて、彼女が何よりも子どもが欲しいと望んでいたのであれば、そんなつまらない感情で、全てをだいなしにするような愚かな真似をするはずがない。
冬木は冷徹で、捻くれていて意地悪で、そして何より、愛情深い女だった。
彼女は、息子を愛していて、そして、梓を信用していたのだ。
――梓だったら、私の子を悪いようにはしないでしょう?
随分と時間がかかってしまった。それでも、やっと、彼女の本当の声が届いた気がした。
私の子をお願いね、と。
「ええ、そうです冬木さま。私達の息子です」
歩きながら、梓は声に出して言った。
「だからお願いです、冬木さま。雪哉と、雪雉を守ってください。どうか無事に、帰してください」
そう言った瞬間、風もないのに、ざわりと木々が揺れた気がした。
梢にかかった朧月が、おかしな具合にぐにゃりと歪むのが分かる。
一瞬の後、淡く霞んでいた月の輪郭がはっきりと澄み、煌々とした光を放つようになった。その大きな満月を背にして、何やら、黒い影が浮かんでいる。
しばし目を凝らし、梓は息を吞んだ。
――それは、信じられぬほど大きな鳥影であった。
各地から名馬が集められた北家本邸ですら、あれほどの巨躯を持ったものは見たことがない。同族と見定めてよいのか決めかねているうちに、それはこちらに向かって、ゆるやかに近付いて来た。
そして、立ち竦む梓の前に、悠々と着地したのだった。
降り立つ瞬間、翼に煽られて、梓の髪がぶわりと舞い上がった。
近くで見たそいつは、やはり、とんでもなく大きな烏であった。
普通の八咫烏の、ゆうに三倍はあるのではないだろうか。
黒い鉄のような嘴は鋭く、恐ろしく思ってもいいはずなのに、不思議と、そんな感じはなかった。
2024.09.28(土)