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“正しい女性の生き方”とは何か?

 でも私には、彼女がひどい人間だとはまったく思えなかった。自分がやりたいこと、言いたいことを我慢せず、のびのびと街を闊歩する彼女を見ていると、これこそ正しい女性の生き方だ、と思え、どうしようもなく惹かれてしまった。こんなふうに、人の倫理観をぐらぐらと揺さぶり、世界の見方を根底から変えてしまうのが、映画のおもしろさであり怖さでもある。

 彼女の周囲には、いつも騒々しく醜悪な音であふれている。友人とカフェに入れば、明らかに猥談めいた話を大声でする男たちがいる。ホストクラブでは嬌声に囲まれる。外へ出れば、男から執拗に声をかけられ、断った途端にひどい罵声を浴びせられる。仕事場の脱毛サロンでは、安売りのチラシに書かれたような空虚な言葉が、日々吐き出されている。

 街にあふれる、悪意と暴力。熱に浮かされるように、カナは徐々に自分の感情をコントロールできなくなっていく。その鬱憤をぶつけられるのは、新しく一緒に暮らし始めたハヤシ。取っ組み合い、暴れ回り、仲直りしてはまた取っ組み合う二人の生活は、どう見てもこう着状態に陥っている。それでも家をもたないカナはここを出ていくことができない。別れたはずのホンダが再び彼女の前に現れても、カナは彼を傷つけ、追い払う。

 彼女をそんなふうに追い詰めたのは、ある意味では男たちともいえる。彼らは一見常識的で優しい人たちだが、気付かぬうちに女を見くびっている。セックスワーカーを見下し、妊娠や中絶という出来事が女性の身体をどう傷つけるのかに気づきもしない。ホンダやハヤシをはじめ、男性たちが抱え持つ、致命的な鈍感さや無意識の差別意識が、カナを怒りに駆り立てるのだ。

2024.08.31(土)
文=月永理絵