「血脈桜」では、藩の存亡を左右する重責を担わされた娘たちの辛苦。

 職を失い怠惰な暮らしを続ける父と兄のために働く娘の決意が鮮やかな「黒百合」。

 どうだろう? 社会情勢も時代も異なるが、現代を生きる我々の思いや経験に置き換えることが可能なのではないだろうか。

 本作は、物語の主人公の人生を描きながら、我々に起こり得るであろう、経験したであろう人生を描いているのだ。

 さらに本書の短編いずれもが、胸を打つのは、たとえ樹木の末端の枝のような生であろうと、一本の木を構成する大切な一部であると気づかせてもくれるからだ。

 それは、人として生きることの尊さ。

 宇江佐作品には、それが根底に常にあるように感じる。

 しかし、それは平坦でもないし、楽じゃない。他者を羨み、己を嘆く。そうした厳しさも説かれている。幸福な結末ばかりではないのは、著者の他の作品にも多くある。

 だからといって、生きることをやめてはいけないと思わせてくれるのが、宇江佐作品の力であり、メッセージであると受け止めている。

 歴史時代小説は「人」を描け、といわれる。特別な人間を描く意ではない。普遍的な人の性(さが)を描くということだ。

 だから、その作品が色褪せることはない。

 幾星霜を重ね、世の中が変わろうとも、人の営みも性も変わることはないからだ。

 歴史時代小説の愛読者ではあるが、書き手の立場から述べさせていただくと、「たば風」は、時代小説の要素がこれでもかというほど詰めこまれている作品だと思う。幸から不幸への急転直下、情愛シーン、剣戟の場面。そして物語を象徴するたば風の効果的な用い方。そういう意味では「黒百合」も好きな一編なのだが、物語の構成と展開でいえば、「たば風」は、これぞ時代小説! を堪能できる。

 あとがきで、たば風の解釈を補足されていたが、あのラストはまさに、たば=霊魂そのものだったと思う。

 宇江佐さんが亡くなってから、早七年が経った。享年六十六。あまりにも惜しまれる。

 個人的なことで恐縮だが、宇江佐さんとは時折、書簡のやりとりをしていた。大抵は、私の相談事だったりしたが、多忙にもかかわらず丁寧なお返事をくださった。美しく整然と並ぶ少し右上がりの文字には、その文面とともに、真面目で気遣いの細やかなお人柄を感じた。

 返書は大切に保管し、宝物になっている。けれど、なによりの宝は、こうして綴られた、宇江佐真理という作家が遺した作品に他ならない。

 これからも読み継がれていくであろう物語の中で、作家の思いは生き続ける。

2023.06.01(木)
文=梶 よう子(小説家)