資生堂の元同期だった女性が『花椿』編集長に就任して、メールのやり取りをしていたタイミングだったこともあり、久しぶりに『花椿』の紙媒体の執筆や、ウェブで90年代の花椿編集室のことをエッセイにすることを勧められたのがきっかけです。

――『わたしと『花椿』』の執筆にあたって1995年の『花椿合本』(1年分をまとめて綴じたもの)をたびたび手に取ったそうですが、林さんにとって95年はどういった時期で、どんな仕事が印象に残っていますか?

 『Baby Generation』という展覧会を渋谷パルコで実現したのは1996年春ですが、その準備のようなことをしていたと思います。バンド「ソニック・ユース」のキム・ゴードンや女優で写真家のソフィア・コッポラ、現代アート作家のカレン・クリムニクらが参加した、とても印象深い仕事でした。私が1993年秋にパリコレ取材に通いはじめた頃、『花椿』はヨーロッパのモードを報道していましたが、私はその反動のように渋谷の街角で見かける日本人の若い男女のストリート・ファッションに夢中になっていました。

 当時LAから発信されていたユースカルチャーはすごく魅力的で、それはTシャツなどの日常着や音楽シーンと密接に関係したムーブメントでした。94年の秋にキム・ゴードンがX-girlをはじめたニュースをアメリカの雑誌記事から見つけました。自分が興味のあった、そのアメリカのユースカルチャーやオルタナティブ・シーンの動向を『花椿』のコラムなど小規模な記事を通して形にしていた時期かな、というのが95年頃です。また『花椿』以外の雑誌に、署名原稿を執筆する活動も始めていました。

 

ファッションを日常に引き寄せる

――96年の『Baby Generation』展と展覧会公式カタログ(リトルモア)の仕事は、花椿編集室の仕事を続けながら手がけたものだったのでしょうか?

 当時の資生堂は会社にとって良いイメージを与えるものなら、社員が外部で副業のような仕事をするのはOKという社風だったんです。同期の男性で、ニュースキャスターをやっている方もいました。

2023.05.01(月)
文=「文春オンライン」編集部