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体を鍛えることは、心を鍛えること

 たとえば僕の場合、ベンチプレスは基本的に「これ以上の重さはあがらないな」と思うところに重さを設定します。そしてそれを、肩が上がらない、肩が前に出ないという正しい姿勢で、1回目と同じポーズでずっとやっていくんです。もしきつすぎて正しい姿勢が崩れるようなら、その時の自分の体調や体力に合っていないということなので、少し負荷を下げて、常にその時の自分にとって「少しきつい」状況に設定し直します。自分の限界以上に負荷をかけてハーハー言いながらするトレーニングは必要以上に力が入ってしまうので、僕はしません。最初と最後でずっと同じ状態を保てるものがトレーニングだと思って、ただ淡々と続けています。

 結局、体を鍛えるということは、心を鍛えることにつながっていると思うんです。体が鍛えられると同時に、心も鍛えられるなんて、一石二鳥じゃないですか。だから「郷ひろみでい続けるために、トレーニングをする」という意識ではなく、体を鍛えることが自分には合っているからやっているだけ、というのが正直なところです。

──無理に頑張りすぎない、ということでしょうか。

 僕は「ファインライン」と呼んでいますが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」というように、やりすぎはよくないと思うんですよ。これはトレーニングに限らず、服装や言葉遣い、態度もすべてそうだと思っています。

 料理やファッションも、オリジナリティばかり追求しすぎると、誰もついてこれなくなりますよね。だからやりすぎにもやらなすぎにもならないよう、ファインラインを心がけています。

──それは「郷ひろみ」のプレーヤーでありながら、同時にプロデュースやディレクションも行っている、という感覚ですか?

 そういうふうには考えたことがないですね……。僕の判断基準はファンの方と同じ目線なのかもしれません。ただ、「郷ひろみのファン」といっても、変わらないことを望むファンの方もいれば、変わり続けることを望むファンの方もいますよね。それはフタを開けてみなければわからない。だから結局「これは郷ひろみならやるかな? やらないかな?」というところが判断基準になるのだろうなと思います。

──「郷ひろみ」であり続けるために、年齢はハードルにならないのですか?

 僕は50代後半にさしかかった頃、どんな60代にしようか考え始めたんです。会社員なら定年退職を迎える頃だけど、僕にはそれがないし、逆にこれまでの蓄積をステップにゼロからつくりあげることもできるなと思ったんです。

 でも、よく言われる「第二の人生」という言葉は、僕には違うと思いました。だって、60歳になったから、会社を定年退職したからといって、その人の人生がそこで完全にリセットされるわけではないですよね。

 職業や立場が変わったとしても人生はずっと続いていくし、誰にとっても1回きりの人生だと僕は思うんです。定年を迎えて、それまでまったくやってこなかった新しい挑戦をする方ももちろんいらっしゃいますが、僕はこれまで自分がずっとやってきたことを生かしてやっていくことで、僕の人生を大事に歩んでいきたいと思って、「黄金の60代」というフレーズを掲げました。

2022.12.25(日)
文=相澤洋美