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吉右衛門さんの松浦侯で再びお縫を演じる

――翌年の10月、今度は名古屋で再び吉右衛門さんの松浦侯でお縫を演じるチャンスが訪れたのですから、自分なりに考えて結果を出したということなのではないでしょうか。

 そんな簡単なことではないと思います。それでも、おじさまの松浦侯でもう一度お縫を勤められるということが本当に嬉しかったです。これからも勤め続けられるよう努力し、おじさまのそばでもっともっと勉強したいと思っていたのですが……。

――それがかなわなくなってしまいました。直近でなさったお縫はお父様が松浦侯を演じられた舞台。3年前の「秀山祭九月大歌舞伎」でのことで「三世中村歌六百回忌追善狂言」として、でした。

 高祖父の三世歌六には、初代中村吉右衛門、三世中村時蔵、十七世中村勘三郎という3人の子がいて、吉右衛門のおじさまは初代吉右衛門の養子となり二代目としてその名を継がれました。「秀山祭」というのは初代さんの芸を受け継ぎ、後世に残すことに心血を注がれたおじさまが始められた公演です。

 その秀山祭で高祖父の百回忌追善を催すことができたのは父ともよく話しているのですが、非常にありがたいことでした。そして今、改めて思うのは、高祖父が生きた時代というものを考えた時に三世歌六は百回忌追善をしてもらえるような役者だったのだろうか、ということなのです。

 歌舞伎の公演でしばしば見聞きする追善という言葉。その言葉の重みを米吉さんは実感を伴って受け止めている様子です。それは果たしてどのような意味合いがあるのでしょうか? そして若手歌舞伎俳優にとっての「秀山祭」とは? 後編ではそれらを踏まえて米吉さんの未来への思いに迫ります。

中村米吉 (なかむら よねきち)

1993年3月8日生まれ。五代目中村歌六の長男。2000年7月歌舞伎座『宇和島騒動』の武右衛門倅武之助で五代目中村米吉を襲名し初舞台。歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」では第一部『白鷺城異聞』、第二部『松浦の太鼓』、第三部『昇龍哀別瀬戸内 藤戸』に出演。

秀山祭九月大歌舞伎
二世中村吉右衛門一周忌追善

2022年9月4日(日)~27日(火)
第一部:白鷺城異聞/菅原伝授手習鑑 寺子屋
第二部:松浦の太鼓/揚羽蝶繍姿
第三部:仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場/昇龍哀別瀬戸内 藤戸
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/776

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