――とはいえプロフィールを拝見すると、どの時期も出演した作品数は多いですよね。

日髙 仕事を続けられたのは、私の母の協力があってこそです。幼稚園に入る前は、実家へ預けたり、うちに母が来てくれたり。幼稚園に入ってからは園のお友達のお母さんが「うちで預かってあげる」と言ってくれて、ご飯まで食べさせてくれて、時にはお風呂にまで入れていただいて。ものすごく助けてもらいましたね。

 うちは0歳の時に子供を母に預けていたので、保育園に入りそびれたんですよ。保育園は0歳から入園を申し込まないと、枠がいっぱいで途中入園が難しくなっちゃう。そういう事情があって、母がくたびれたらベビーシッターさんをお願いしたりと、とにかくバタバタしていましたね。

 

 でも私は私で、スタジオに入って重い扉が閉まってしまうと、私たち声優だけの世界に入っていきます。いくら子供のことが気になっても、大げさに言えば、もうどうすることもできないという。だけど、そういう環境に身を置くことで、「母でも妻でもない私」を取り戻せる部分もちょっとはあったりする。やっぱり、仕事をすることが自分の気持ちを維持するエネルギーにはなっていたんですよね。けれども、両立というジレンマで疲れもたまっていって。

先輩の声優さんが「つわり、つらいよね。私も大変だったのよ」

――育児中も大変ですけど、妊娠中も相当にヘビーだったのではないですか。

日髙 つわりはきつかったですね。電車で仕事に向かう途中で気分が悪くなって「今日はスタジオにたどり着けないんじゃないか……」と思ったら、ジューススタンドのある駅で降りてレモンジュースをちょっと飲んで。そうすると少し復活するので、よくレモンジュースを飲んでいました。

 でもスタジオに行けば、先輩の声優さんたちが「つわり、つらいよね。私も大変だったのよ」と言って支えてくださったので、心強かったです。

――『超時空騎団サザンクロス』(TBS、1984年)で声優デビューされてからは38年、今年で還暦の節目を迎えられました。さまざまなタイミングで心身の変化があったと思いますが、どうやって向き合ってこられたのかなと。

2022.08.29(月)
文=平田裕介