黒田清子さんが成年になった平成元年(1989)は昭和天皇の喪中だったため、お誕生日当日は勲一等宝冠章(現在の宝冠大綬章)の親授式だけが行われたが、祝賀行事は年をまたいで行われ、祝宴も晩餐会も催され盛大なものだった。翌日も茶会などの行事は続き、多くの人たちから祝福を受けられた。

 

ティアラ借用は愛子さまのご提案

 あれから32年。愛子さまの成年行事では、祝宴やお茶会、晩餐会は中止となった。コロナ禍ということもあり、派手なことは控えるべきだというのが、両陛下の基本方針にあった。平成以降、女性皇族が成年を迎えるたびにティアラなどの宝飾品が新調されてきたが、愛子さまに関しては新調しないことになった。これは愛子さまから直々のご提案だったという。

 今では、女性皇族の象徴ともされるティアラだが、元々は海外の女王が日本に招かれた際に着けていたもので、日本には着ける伝統や習慣はなかった。その歴史的な経緯を知った愛子さまは、新しいティアラを製作しないことを両陛下にご提案。3人で話し合われた結果、黒田清子さんのものを借用することにしたのだという。

 お誕生日当日の12月1日は、ご家族や宮内庁関係者らによる内輪のお祝いがつづく。午前中は学習院大学文学部のオンライン授業に御所からご参加。午後5時から天皇皇后両陛下とご一緒に宮内庁長官と次長、侍従職職員から祝賀を受けられる。

 午後7時には、天皇ご一家でお祝い膳を囲まれる。献立は、やはり清子さんが成人した時に出された献立を参考にしたと言われ、大膳課が2週間前から作案。季節の野菜や魚などを取り入れた門出を祝う華やかな品々が並ぶという。

 成年行事の本番は、正式な行事が1日続く5日のほうだ。

 午前中は、愛子さまは裾が地面まで達する参拝服で宮中三殿をご参拝。宮殿「鳳凰の間」では、初めて作ったという「ローブ・モンタント」(肌の露出の少ない、襟が高くせり上がった昼用ドレス)姿で、陛下から勲章を受けられる。続いて「薔薇の間」に移られて、別所浩郎侍従長から勲章の証書が伝授される。

2022.01.02(日)
文=友納尚子