「あそこはおいしい。浅草で蕎麦を食べるなら十和田だよ」とか言ってくれる。落語家だって、ご祝儀渡すと舞台の上から「今日は帰りに十和田の蕎麦食って帰ろう」とか、漫才師なら笑いのネタにしてくれるでしょ。

 でも、別に打算だけじゃないのよ。だって、助けたいじゃない、困ってる人がいたらさ。義理だとか、人情だとか、そういう訳のわからないことにお金を使う。それが自然とのれんの宣伝になり、のれんが守られていくのよ。

 

右手にソロバン、左手に人情

 やれ、ご祝儀だ、差し入れだ、お中元だ、お歳暮だとか、義理事みたいなことに私はお金をいっぱい使う。知り合いの店の売り上げが少なければ、飲み食いに行ったり、物を買ったりする。お腹を空かせてる子たちがいれば、ご飯をごちそうしたり、小遣いを渡したりもする。そういう細かいお金を私はバンバン使う。

「別に使わなくても済むお金じゃないですか」と周りからはよく言われる。だけど、訳のわからないお金を使ってはじめて、「真ののれんができる」ってのが、私の信念。

 人のためにお金を使っているから、のれんの評判が上がる。のれんが強くなる。

 そして、一流ののれんができる。もちろん、正直な商売が基本よ。

 一見無駄に見えるようなお金の使い方をしていても、後になって大きな財産になって戻ってくるの。それに、私たちのような商人は、普段から人様のためにお金を出し慣れてないと、人様からお金を取れない。ソロバンだけではダメよ。温かい人情(心)がなきゃ。右手にソロバン、左手に人情よ。

小さいお金は使う。大きなお金はもらう

 小さいお金は馬鹿にならない。本当にお金に困っている時、必要なのは大きなお金よりも小さいお金でしょ。「お金がなくても人は幸福になれます」って言う人もいるけど、お金がないとまずは不便でしょ。不便が積み重なって不幸になることもあるよね。

 だったら、不便を取り除いてあげよう。自分ができる範囲で人に施そう。そういう精神よ。小さいお金で人の不幸を減らせりゃいいじゃない。小さいお金を種みたいに撒いていると、やがて大きなお金という花が咲くこともあるのよ。小さいお金は使う。大きなお金はもらう。

2022.01.02(日)
文=冨永 照子