これまでの韓国エンタメになかった「恨(ハン)」の描き方

 韓国の著名な映画監督・パク・チャヌクの「復讐三部作」に代表されるように、朝鮮文化特有の「恨(ハン)」の感情はこれまで映画を通して世界に衝撃を与えてきた。

 「恨(ハン)」とはただの恨みつらみではなく、無常観や寂寥感を含んでおり、日本語では定義し尽くせない感情とされる。これまでは映画の中で暴力や残酷描写といったエクストリーム表現で発露されてきたが、この「梨泰院クラス」には「恨(ハン)」が実に爽やかな形で漂っているように思える。

 復讐を描いた物語にはラストの逆転劇のフリに向けて、主人公たちが虐げられる描写が必須だ。逆境が長く辛いほど視聴者は主人公に同情し、悪役の鼻を明かす展開のカタルシスが増す。

 しかし、『梨泰院クラス』では第1話での主人公の動機となる悲劇を除けば、不快なシーンは入念に排除されている。もちろん悪役・長家陣営は繰り返し嫌がらせをするが、タンバム陣営はすぐにやり返してしまう。従来の「フリ・オチ」の落差にこだわる復讐劇の作法ではなく、細かい快感を積み重ねていく作劇が新鮮な痛快さをもたらした。

 突然、時間設定が飛躍するのも面白い。

 前触れなく急に「2年後」「7年後」などと時間がスキップされ、時系列が前後することはほとんどない。その度に若いキャラたちがぐんぐん垢抜けて行くのも爽やかなファンサービスなのだが、唯一主人公のセロイだけは容姿も服装もほとんど変化しない。十数年に渡って変わらない特徴的な髪型は、彼の芯の強さの暗喩だ。

その2) 恋愛に依存しすぎない「説得力ある」三角関係

 恋愛ドラマの側面も忘れてはいけない。このドラマを観た人同士で「あなたはイソ派? スア派?」という会話をしない人はいないだろう。主人公・セロイを奪い合う2人の対照的な女性キャラだ。

 ソシオパスでビジネスセンス抜群のイソは、セロイの右腕としてタンバムの成長に尽力する。幼くして親に捨てられたスアは、長家で働きながら一途にセロイを待つ。

 そして何より、セロイから積極的に彼女らへアプローチしないところが斬新だ。終始、愛情表現をするのはイソやスアであり、セロイは彼女らを尻目に仕事に打ち込む。

 そして彼女らの存在をリアルたらしめているのは、彼女ら自身がともすればセロイ以上に仕事熱心なところ。特にイソがいなければタンバムは大赤字のまま一瞬で潰れていたはずだ。

 「仕事と恋愛の両立」という定番のテーマはわかりやすいが、恋愛に囚われて仕事に身が入らない社会人など実際どれほどいるだろうか。大半の大人は恋愛が順調であろうと不調であろうと、仕事には専念する。

 恋愛ドラマの要素が濃厚なのに、恋愛のみに生きている非現実的なキャラクターがおらず、恋愛ドラマを見慣れていない層が観てもこっぱずかしさがないのだ。

2020.07.19(日)
文=大島育宙