雄大な山並みのなかをぬけ、海と海をつなぐ風。マウイ島のどこを訪れても、島風は人々を魅了する。迷う背中を押し、ふんわりと両手で抱きしめ、惑わすような薫りを運び、時計の針を逆回しにする風。風にとらわれるとはまさにこのこと、旅と日常の境をさらりと吹き飛ばす強い島風なのである。
東に太陽の家と呼ばれるハレアカラー、西に世界一、二の降雨量を誇るマウナ・カハーラーヴァイ、二つの休火山が火山活動を繰り返し、出来上がった島がマウイ島。島の主な空港であるカフルイ空港は、この二つの山が膨大な時間をかけて近づき作り上げた平地の部分にあり、絶え間なく訪れる旅人を迎えている。
旅人がマウイ島を知るのに一番の近道があるとしたら、空港から風に背中を押されるままに、島の西にまわり、ラハイナの町を訪れることかもしれない。捕鯨の歴史をもつ港町ラハイナは、今はホエールウォッチングや美しいサンセットで人々を楽しませる。海沿いに走るフロントストリートは世界中の観光客がショッピングやアート、食を堪能する目抜き通りだ。
ところが意外と知られていないのは、1778年以前、西欧文化に影響を受ける前のラハイナ。ハワイの人々が独自の文化を謳歌していた、いにしえの時代からのラハイナの姿である。
日本の伝統的な口上「東西~、東西~」と同様、ハワイの人々も「東からはじまり、西におわる」という終始の観念を大事にした。島の東のハナからのぼる太陽が、島の西のラハイナに沈むことを基点に世界観を築いていた古代ハワイの神々や王たちは揃って、ラハイナを愛した。
1810年にカメハメハ王がハワイ諸島を統一し、カメハメハ二世のとき王国の首都はラハイナに。王と神官、カメハメハ王の聖なる妻たち、それから当時最も聖なる存在とされた妻で、後に王となる子どもたちをなしたケオープーオラニ。彼らが住んだ、モクウラと呼ばれる場所は、今は跡形もないが、現在のフロントストリートに面していた。
ラハイナの史跡を見て歩くのに最適なのは、「ラハイナ・ヒストリック・トレイル」と題したウォーキングツアーである。町の史跡保存協会がフロントストリートを中心に南から北へ、史跡に番号をつけたのだ。町中のあらゆるところに地図がおかれ、「ラハイナ・ヒストリック・サイト」いう看板には、史跡の名前と番号がある。番号をたどるのもよし、名前を追うのもよしと楽しみ方は自由だが、歴史を巡る時間の迷路を散策するのは古都ラハイナの醍醐味といえる。
2012.10.19(金)