フェルメール大量上陸
魅力は「キラキラ」と日常性にあり
これを引っ張り出してくれば必ずウケる。という「鉄板」ネタはどの世界にもあって、日本の美術界でいえばそれは印象派。さらにはフェルメールも。
もちろん僕も大好きだけど、この両者はなぜかくも日本で人気なのか。何か共通点が? と考えるに、いや、似通っているところならいくらでも挙げられる。
たとえば、まず気づくのは光のこと。どの作品もいつだって澄明な光に満ちて、キラキラと輝く。
絵画とは光と影の按配によって画面を構成し、ものの立体感を出すのだから、あらゆる画家が光を意識するのは当然といえば当然。くわえて印象派とフェルメールの作品では、光が「キラキラ」ときらめいているところに大きな特長がある。
印象派が戸外にキャンバスを持ち出したのは、そこに降り注いでいる光のきらめきを直に留めるためだった。細かいタッチで、絵具を混ぜ合わせず並置していったのも、光に照らされたものの色と質感を正確に表すため。彼らは光そのものを捉えようとしていたのだ。
フェルメールのほうは、じつはさして画面が明るいわけじゃないのだけれど、窓から差し込んだ光の粒が、室内にしんしんと降り積もるような描写がされている。繊細な描写の為せる業だ。色彩はものに固有の色を塗るというより、肌が、衣服が、調度品が光を受けてどんな表情を見せ、変哲のないものがどうきらめくのか。それを見極めんと色が施される。フェルメールもまた、光が及ぼす印象を描こうとしたのだ。
ささやかな日常の光景をモチーフにするのも、両者に共通するところ。西洋絵画では歴史や神話、王など重要な人物を描くことこそが正当な伝統だったのに、印象派はあっさりとそのしきたりを捨てた。市民社会が到来し、神話だ王だなんてリアリティがなくなったからだ。
そうした社会形態には先駆けがあった。17世紀のオランダ。まさにフェルメールの生きた時代と地域だ。身の回りのものに目を向け、絵画作品とした初めての人たち、それがフェルメール世代だった。
大規模なフェルメール展が東京・上野の森美術館で始まる。彼の作品が9点も出展されるというのは破格である。フェルメールだからといって、現存するすべての作品がいいとはもちろん思わないが、今展には《牛乳を注ぐ女》が出品される。永遠に時が閉じ込められたかのような、静謐さ漂う一枚。
フェルメールによる最高の達成点かもしれぬ作品に、ぜひとも酔いしれたい。
『フェルメール展』
会場 上野の森美術館(東京・上野)
会期 開催中~2019年2月3日(日)
料金 前売日時指定券 一般 2,500円(税込)ほか
※日時指定入場制。詳細はホームページへ
電話番号 0570-008-035(インフォメーションダイヤル)
https://www.vermeer.jp/
2018.10.16(火)
文=山内宏泰