世界を旅する女性トラベルライターが、これまでデジカメのメモリーの奥に眠らせたままだった小ネタをお蔵出しするのがこのコラム。敏腕の4人が、交替で登板します。

 第148回は、たかせ藍沙さんが「南米のパリ」と呼ばれるあの美しい街を訪ねます!

地球の裏側にある「南米のパリ」へ

ブエノスアイレスのメインストリートの7月9日通り。アルゼンチンが独立した1816年7月9日にちなんで名づけられた。

 ブエノスアイレスは「南米のパリ」と称されている。この街は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパから多くの移民がやってきて繁栄を極めた。その当時の美しい街並みが残されているのだ。

5月広場の記念塔の周囲の地面には女性の白いスカーフが描かれている。これは、1976~83年の軍事政権下で拉致されて行方不明となった子供たちをもつ母親の抗議活動の象徴だ。

 日本からは直行便がない。アメリカやヨーロッパ、中東、ニュージーランドで乗り継ぐことになる。ちょうど地球の裏側なので、どちらのルートを使っても大きな違いはない。日程に余裕があるなら、経由地で1、2泊して旅を2倍楽しんでしまうのも手だ。

 まず向かったのは「5月広場」。ブエノスアイレスの街は、この広場を中心として発展してきた。

 「5月広場」という名称は、1810年5月に起きた、スペインからの独立運動のきっかけとなった「5月革命」に由来する。16世紀初頭にヨーロッパの探検家が訪れてから、幾度となくここでアルゼンチンの歴史が変えられてきた。

大統領府。「カーサ・ロサーダ(ピンク色の館)」「ザ・ピンクハウス」とも呼ばれている。

 5月広場の正面に鎮座するピンク色の建物は大統領府。国民に圧倒的な人気を誇ったエバ・ペロンが、夫のフアン・ペロン大統領とともにバルコニーから演説し、10万人の聴衆を集めた場所としても知られている。

 エバ・ペロンのストーリーはミュージカル『エビータ』として舞台化され、マドンナ主演で映画化もされた。映画のシーンを思い出して、身震いしてしまった。

5月広場に面している大聖堂(カテドラル・メトロポリターナ)。
街角でタンゴを踊るカップル。実はこれ、すぐ後にあるレストランの客寄せだ。

 次に訪れたのはボカ港があるボカ地区。かつて、ヨーロッパから新天地を求めてやってきた移民たちの玄関口となった港町だ。船乗りや労働者たちが出入りした安宿や酒場、賭博場などがあった。そして、タンゴが生まれた場所でもある。

 ボカ地区に「カミニート」と呼ばれるエリアがある。「カミニート」とは、もともと「小径」を意味するスペイン語。小径に面した建物がカラフルな色に塗られているのが特徴だ。ボカ生まれの画家の発案なのだという。

「カミニート」の建物はカラフルな色に塗り分けられている。
左:チップを支払って写真を撮る観光客。この場合は男性のダンサーが、女性にポーズをつけている。
右:カミニートにもエビータが。

 ふとみると、細長い建物の前でタンゴを踊るカップルが。そして、傍らには写真を撮っている人も。実はこれ、記念撮影のために観光客と踊ってくれるダンサーなのだ。

 カップルで踊ることができるように、男性と女性がスタンバイしていた。彼らにチップを渡すと、簡単な衣装を貸してくれて、カメラに向けてポーズを数種類キメてくれる。私は、あまりのギャラリーの多さに踊る勇気が出なかったけれど(笑)、かなりの人気ぶりだった。

アルゼンチン出身のサッカー選手、マラドーナの人形。こちらは自由に記念撮影できるが、近くにマラドーナのそっくりさんもいて、そちらはチップが必要だった(笑)。

2017.01.10(火)
文・撮影=たかせ藍沙