こぼれんばかりの笑顔で思い出を語る浅野順子さん。 右から浅野順子さんと、聞き手の近田春夫さん。壁にかかる絵画は順子さん自身の作品。二人が知り合ったのは十数年前。順子さんの親友がオーナーを務める「サリーズ・バー」がホテルで開いたパーティーのチークタイムで一緒に踊ったのが最初の出会い。 当時の順子さん。(本人提供) 当時、パートナーが営んでいた店では、順子さん自らがリメイクを施した古着も扱っていた。 順子さんならではのあまりにもユニークなセンスが光るリメイク。 ヴィンテージブーツのペインティングに、後年、画家へと転身する才能の萌芽を見る。 順子さんのアトリエを擁するマンションは、都心にありながら、緑に恵まれた環境に立地する。 順子さんに抱かれている愛犬はビスケット。普段はビーちゃんと呼ばれて可愛がられている。 浅野順子さんの作品。 知人の歯科医から譲られたコーンスネークの「さゆり」。このアトリエに来て19年が経つというから、順子さんと芸術家との出会いから別れまでを見つめてきたことになる。 浅野順子さん。対談は、彼女が日々創作に励むアトリエで行われた。本棚には、美術書がいっぱい。 ©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さん(左)と、幼少期の浅野忠信さん(右) 順子さんは1950年9月23日生まれ、近田さんは1951年2月25日生まれ。つまり同学年に当たる。©平松市聖/文藝春秋 アトリエには、順子さんの手がけた多種多様なオブジェが所狭しと並ぶ。©平松市聖/文藝春秋 10代の頃の浅野順子さん(本人提供) 10代の頃の浅野順子さん(本人提供) 40代の順子さん。(本人提供) 浅野順子さん。 ©平松市聖/文藝春秋 アトリエの壁には、次男である浅野忠信の写真も飾られていた。©平松市聖/文藝春秋 米軍が駐留した終戦後の横浜ならではの思い出が、次々と鮮明に蘇る。©平松市聖/文藝春秋 40代の頃、パートナーが営んでいた店では、順子さん自らがリメイクを施した古着も扱っていた。(本人提供) アトリエには大きなサイズの作品も。 ©橋本篤/文藝春秋 順子さんの愛犬、ビスケット。来客が大好きで、取材中はスタッフたちの足元にさかんにじゃれついていた。©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さん。 ©平松市聖/文藝春秋 10代の頃の浅野順子さん(本人提供) 浅野順子さんと近田春夫さん。壁にかかるドローイングは順子さん自身の作品。 ©橋本篤/文藝春秋 一見、ダメージジーンズのように見える順子さんの着ているつなぎだが、破れた穴のように見える部分も、ポケットも、実はすべてプリント。お洒落上級者である。©橋本篤/文藝春秋 父・ウィラードさんがウォレットに忍ばせ、終生その身に携えていた順子さんの写真。©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さんのアトリエの様子。 ©平松市聖/文藝春秋 順子さんならではのあまりにもユニークなセンスが光るリメイク。(本人提供) ヴィンテージブーツのペインティングに、後年、画家へと転身する才能の萌芽を見る。(本人提供) 浅野順子さん。 ©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さんのアトリエの様子。 ©橋本篤/文藝春秋 浅野順子さんと近田春夫さん。 ©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さん。 ©平松市聖/文藝春秋 アトリエの壁や天井、家具などは、自分好みに塗り替えている。©橋本篤/文藝春秋 小さな木の椅子は、順子さんによるハンドメイド。©橋本篤/文藝春秋 浅野順子さんが所属していた「クレオパトラ党」メンバーだった山口小夜子さん ©文藝春秋 浅野順子さんが所属していた「クレオパトラ党」メンバーだったキャシー中島さん ©文藝春秋 浅野順子さんのアトリエの様子。 ©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さんのアトリエの様子。 ©平松市聖/文藝春秋